miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

司法判断には「民意」の反映が必要だ!

 司法権は、裁判所だけがもっている。 裁判が公平に行われるためには、裁判所や裁判官が、国会や内閣から圧力や干渉を受けないことが必要になると考えている。 これを、司法権の独立」といい、三権分立の1つとしている。国家権力の暴走を防ぐために、戦後、日本は「三権分立」体制を確立し、立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)が、互いに権力の行使を監視する役割を果たしている。

 

 しかし、民意がどれだけ反映されているかとの視点で考えた時、裁判所が一番民意が反映されにくい機関で、国民から見ても閉鎖的な場所に映ってだろう。立法は、国政選挙により民意が反映された人物が国会議員に当選する仕組みになっており、行政は、国政選挙において政権を取得した政党の中から選ばれた人物が総理大臣および国務大臣に指名されている。いわば、国民との距離感は比較的近いと考えられる。

 

 それに比べて、司法は、最高裁判所判事の国民審査や裁判員制度(刑事事件のみ)とあるが、国民審査と言われても評価のしようがないという現実もあるし、裁判員制度も刑事事件のみであり、最高裁の統計によると、制度開始の平成21年から令和3年2月末までの候補者名簿(約336万人)のうち、0.02%(10万人程度)しか裁判員の経験をしていないことが判明している。正直、このような状況であれば、司法(裁判所)と国民の距離は、まだまだ遠いと考えて良い。

 

 また、刑事の他に、民事裁判や家事裁判などを経験したことがある人であれば、いかに裁判官が、公正ではなく、かつ、実態にそぐわない判断をしているか、身に染みて感じているだろう。日本国憲法第76条には、「裁判官は、その良心に従い独立して職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される。」とある。しかし、多くの裁判経験者は、「裁判官に良心はあるのか」と疑問を抱いているのが事実である。これは、私自身の経験からしても、自分が思っていた結果が得られなかったというよりも、裁判官自身の言動や姿勢、さらには世間に疎い考えに、幻滅していると考えた方が良い。

 

 いわば、現在の裁判官は、「司法権の独立」を盾に、誰からも圧力や干渉を受けないが故に、「私が正しい」と傲慢で、独善的になり、暴走していると考えられる。ここで公開することは控えるが、ある家庭裁判所のように、本庁には、女性裁判官のみ配属させ、合議体も女性のみで行っているようなところで、いくら男性が無実を主張しても、意図的に有罪にされるのは、極めて心外であり、理不尽であり、不当である。

 

 このような司法(裁判所)の実態を変えていくには、「民意」が必要である。

 

 1つ目には、民意で当選した国会議員が、司法を監視する体制を作ることである。一部では、国会議員で構成される「弾劾裁判所」や「訴追委員会」が形骸化していると指摘されているが、国会議員を中心に、有識者を交えて、体制を検討し、役割を果たすべきであると思う。

 

 2つ目には、以前、主張した内容と重複するが、民事裁判や家事裁判などにおいても、「裁判員制度」を導入することだ。裁判官と言っても人間である以上、言動や姿勢、世間感覚のズレを指摘されても、そのような状況下で生きてきた以上、簡単に考え方は変わらない。だからこそ、裁判員の考えを取り入れて、判断していくことが、より実態に近い判決になっていくと思う。

 

 3つ目には、裁判官は「裁判官の世界」しか知らない人間が多いので、世間感覚にも疎くなる。したがって、裁判官・検察官・弁護士の間で、司法修習後において、交流人事を行い、一人前の裁判官になるには、「検察官」や「弁護士」を複数年経験して、それぞれの立場に立って考えることで、よりよい判断ができるのではないか。さらには、世間感覚を磨く上でも、一般企業へ出向し、社会経験を複数年積むことも必要であろう。

 

 以上、これらのことを国会議員にも働きかけ、司法制度を改革を促し、誰もが公正に判断され、幸福になる世の中になってもらいたいと願うばかりだ。


 誰もが幸福な世の中になるために。