miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

瀬木比呂志著「絶望の裁判所」を読んで

 誰もが「裁判を経験したいか?」と問われたら、「NO」と答えるだろう。しかし、「裁判所はどんなところ?」と問われたら、「紛争を公正・公平に判断し、正義を実現するところ」と答える人が多いだろう。残念ながら、裁判を経験したことがある方はすでにわかっていると思うが、「NO」である。


 私自身、人生で初めて「裁判」を経験し、独善的な考えの持ち主である裁判官に接し、「裁判所には正義はない」と感じていた時に、たまたま見つけた新書である。これは、33年間に渡り、裁判官を務めた瀬木比呂志氏が執筆し、裁判所の暗部を告白した書籍である。「なるほど」と頷ける内容ばかりである。現在、裁判で係争中の方、すでに終結したが、モヤモヤとした疑問や不満が残っている方は、是非とも一読いただきたい。裁判所の真実がおわかりになるだろう。

 

以下、「絶望の裁判所」から抜粋する。

bookclub.kodansha.co.jp

 

この門をくぐるものは、一切の希望を捨てよ。(ダンテ『神曲』地獄篇第三歌より)

 

②裁判の目的とは一体何だろうか? 私は、一言でいえば、「大きな正義」と「ささやかな正義」の双方を実現することではないかと考える。 しかし、日本の裁判所では、「ささやかな正義」はしばしば踏みにじられるし、裁判所が、行政や立法等の権力や大企業等の社会的な強者から国民、市民を守り、基本的人権の擁護と充実、人々の自由の実現に努める「大きな正義」については、きわめて不十分にしか実現されていない。

 

③一般市民である当事者は、多くの裁判官にとって、訴訟記録やみずからの訴訟手控えの片隅に記されているただの「記号」にすぎない。あなたの喜びや悲しみはもちろん、あなたにとって切実なものであるあなたの運命も、本当をいえば、彼らにとっては、どうでもいいことなのである。日本の裁判所、裁判官の関心は、端的にいえば、「事件処理」ということに尽きている。 とにかく、早く、そつなく、「事件」を「処理」しさえすればそれでよいのだ。

 

日本の裁判所は、大局的にみれば、「国民、市民支配のための道具、装置」なのであり、また、そうした道具、装置としてみれば、きわめてよくできているのだ。


⑤企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くから、一定の自浄作用がはたらく。 ところが、官僚組織には自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまるところを知らないということになりやすい。 だからこそ、裁判のような、国民、市民の権利に直接に関わる機関については、こうした組織の問題をよく監視しておかなければならないのである。 また、だからこそ、裁判所の官僚組織からの脱却、人事の客観化と透明化、そして法曹一元制度への移行が必要なのである。


⑥司法、裁判所・裁判官制度のトータルなあり方が、根本的、抜本的に変わっていかなければ、日本の裁判は、本当の意味において良くはならない。 つまり、国民、市民のための裁判、当事者のことを第一に考える裁判にならないし、三権分立の要としての行政や立法を適切にチェックする機能も果たすことができない。 少なくとも、そのことには間違いがないと考える。

 

⑦悪い法理論は、最初に結論を決めて、ただそれを正当化するために構築されていることが多い。 いわゆる「初めに結論ありき」の議論なのだが、法理論については、難解な用語を用い、かつ巧妙に組み立てられていることから、法律の素人である一般市民を欺くためには結構効果的なのだ。 そのような法理論の欠陥を見抜くには、それを正確かつ簡潔に要約するとともに、日常的な言葉に翻訳してみることが大切である。

 

法律問題に関して果敢な判断を行った裁判官は、おそらく無傷ではいられず、いつどこでどのような報復を受けるかわからない。

 

⑨日本の裁判官の判決は、長くて細かいがわかりにくく、しかも、肝心の重要な争点に関する記述がおざなりであったり、形式論理で木で鼻をくくったように処理されていたりすることが多い。 これは、根本的には、裁判官に真摯に事案をコミットしようという心構えが乏しく、また、当事者のためではなく、上級審にみせるために、あるいは、自己満足のために判決を書いているという側面が大きいことによる。

 

日本の裁判官には、重要な法律問題や新しい法律問題を含む事件において判決、ことに新しい判断を示すことに対する及び腰の姿勢が強く、しかも、この傾向は、近年むしろ強まっている。 効率よく事件を「落とす」ことだけを至上目的とする事なかれ主義の事件処理が目立つようになっている。 弁護士から「裁判官による和解の強要、押しつけの横行」をいう声を聴くことも多い。 

 

訴訟を起こしてみると、ある程度審理が進んだ段階で、裁判官から、強引に、かつ延々と和解の説得を受ける場合がきわめて多い。

 

裁判員制度の目的について「市民の司法参加」がいわれる。 それはもちろん意味のあることだと思うが、より根本的な目的は「刑事裁判制度の改善」であり、ことに「冤罪の防止」であろう。

 

 誰もが幸福な世の中になるために。