miwasan0216’s blog

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【正論10月号】「親権」の前に親の責務議論を

 正論10月号では、特集「親権を考える」として有識者が論文を出している。第1弾は、長崎大学准教授の池谷和子氏が、「「親権」の前に親の責務議論を」を発表し、注目されている。

正論(2022年10月号)

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 本年7月、東京家庭裁判所は、フランス人の夫であるヴィンセント・フィッショ氏が訴え、国際的に問題になっていた夫婦の離婚訴訟で、子供二人の親権者を妻とする判決を言い渡した。判決では、①妻が主張する「暴行された事実は認められない」としながらも、「妻の監護状況に特段の問題は見られない」から、子供二人の親権者を妻とした。また、②子供が父に否定的な感情を示さなかったことから、「妻が夫と子らとの面会交流を妨げていることは問題である」としながらも、共同親権が認められていない日本では、「面会交流は今後二人が協議や調停などを通じて実現していくべき」とした。

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これを通して、池谷氏は、以下の通り、言及している。

 

①まるで法治国家ではないような「違法なことをした者勝ち」という事態が引き起こされている。現在の日本の司法制度の欠陥を象徴的に示した判決といえるだろう。

 

②親子を引き離すことを当事者に教唆して利潤追求に明け暮れる弁護士がいる。(中略)妻を煽って別居や離婚を促し、夫のDVの証拠をでっち上げさせ、子供を連れて黙って家を出るように指南し、養育費からピンハネする恐ろしくモラルの低い弁護士の姿が垣間見える。

 

③弁護士の利益の為に、何が何でも家庭が崩壊するように仕向けられた結果、子供達に待っているのは何か。父を失い、夫婦の争いに巻き込まれ、そしてほぼ確実に裁判にも巻き込まれる、という子供にとって精神的につらく理不尽な現実である。

 

合法的に認められた面会交流を妨げる当事者や倫理観の低い弁護士がいたとしても、それに対処する法制度を備えていることこそが法治国家にとって大事であるはずだ。ところが、それが日本には存在しない。そこが一番の問題なのである。

 

⑤倫理観の低い一部の弁護士の存在と相まって、子供を裁判に巻き込み、子の利益を損なう行動(片親の悪口や子供に会わせない等)を制御できない事態となっている。この日本の現状は、国際的にも「児童の権利条約」違反として、非難されているのは周知の通りだ。


⑥親権というのは、親にとっては権利かもしれないし、自由に選べる方が便利だという感覚もあるのかもしれないが、子供にとって両親はどちらも同じように大切であるという点からすれば、単なる権利ではなく、子供に対する責任として考えなければならないのではなかろうか。にもかかわらず、離婚の当事者が親権を自由な選択によって「単独親権」にすることが出来る制度では、子供から見れば、それは片方の親から捨てられるということを意味する。

 

子供にとって親は子供自身のアイデンティティにも関わる特別な存在であることを親自身が自覚し、親の責任として少なくとも子供が成人するまでは、別居した配偶者や元配偶者ともお互いに協力をし合って子供の成育環境を整えて貰いたい。そして、国家は、子供が両親と継続的に会えるようにバックアップをし、逆に、元配偶者と協力もせず、自らのことしか考えないような親に対しては、「両親が協力し合って子供の為になる行動をとれるよう」に強制出来る制度にしなければ、法によって規律する意味はないように思える。