miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

福沢諭吉「愚かな民の上には厳しい政府がある」

 慶応の創始者福沢諭吉の「学問のすゝめ」にある言葉だ。

 

 

 ここには、この後に、「政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈にある。」とある。

 

 今回、法務省法制審議会家族法制部会の委員には、自ら作成した中間試案に対して、自民党法務部会の反対したことに、「政治介入だ」と騒いでいる人間もいる。しかし、家族法制部会の委員には、よく考えてもらいたい。「民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。」であり、自ら招いた災いであることを。

 

 家族法制部会による審議開始から1年半が経過して、委員各人の思惑から、中間試案もろくにまとめることができないのは、委員たちの力不足に他ならない。政治家は国民の代表として選挙で選ばれた人間である。それは、国民の声を代弁しているという意味がある。それを「政治介入」と批判することは論点をずらした的外れな批判であり、民意を聞かずに独善的思考に陥っていることの証左である。「政治介入」と批判する前に、「親権制度」を考えるにあたって、原点に戻る必要があるのではないだろうか。

 

 共同親権」推進派と反対派は、ある側面からみれば、保守VS革新の「イデオロギー論争」の様相を呈している。しかし、「子供の福祉を第一に考える」という原点は、同じはずである。そもそも、この原点が違うのであれば、その人は他の意図があって主張しているに過ぎず、混乱を招く元凶でしかないので、「親権制度」の話し合いからは手を引きべきである。

 

 一部の学者やNPO関係者や社会起業家などからは、片親による「DV」や「虐待」などを理由に「共同親権」に反対する声もある。この問題も、重要な課題であるので、対策を講じていくべきである。しかし、一方で、原点に基づいて、議論をまとめていくには、各人の思惑だけではまとまることはない。そのエビデンスに基づいた議論が必要である。正直、「親権制度」を包括的に見れば、「DV」や「虐待」などは数パーセントに過ぎず、例外的な案件として、別途対策を講じていく必要がある。

 

 そういう意味で、「原則共同親権」とし、「DV」や「虐待」など正当事由がある場合は「例外単独親権」を認める形が、子供の福祉に適った一番いい形であると考えられる。