miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

親子断絶に負けない!子どもはいくつになっても親に会いたいと思っている①

        

パパもママも!

 

 私は、6ヵ月間だが、親子断絶の経験をしてきた。その後、月1回2時間⇒5時間へ拡充して、親子交流を続けている。それでも、月1回5時間は少ない。だから、もっと親子交流は増やしてほしいと思って、協議を続けている。

 

 タイトルにある通り、子どもはいくつになっても親に会いたいと思っていることを、身近な体験(私の親族)を紹介したい。

 

 1人目は、私の父(70歳)です。父は1歳の時に、両親が離婚。戦後まもない時期だったので、父親の親権者割合が多い時代であったので、実母は家を出ていき、実父とその両親と暮らすことになった。その後、私の祖母にあたる継母が来て、弟もできて、何不自由ない生活を送ってきた。地元では裕福な家庭であった。

 

 しかし、父は思春期の頃、ふとしたことがきっかげで、自分が「養子」であることを知った。それ以来、両親に心を閉ざしてしまった。実母とは、一度も会っておらず、顔も名前も全くわからなかった。結局、実母が亡くなるまで、一度も会うこともなく、誰も実母のことを教えてくれなかったようだ。実母のことを初めて知ったのは、父が45歳の時(私が高校1年生の時)、実母が亡くなったことで遺産相続の話が突然入ってきた。実母は、再婚していたが、家族に黙って、父のために遺産を残してくれていた。

 

 私の祖母(父の継母)いわく、祖母が実母と連携をとり、学校の授業参観や運動会には実母も顔を出していたとの話であった。実母にとっては、離婚後も子どもの成長を遠くからでも見守ることができ、良かったかもしれない。しかし、何不自由なく、継母の親戚からもとても大事にしてもらいながら育った父も、自分のアイデンティティーがわからないことに、とても悲しみと怒りと寂しさを感じていたようだ。

 

 父が実母のことを初めて知った時に、親戚に「なぜ、実母のことを教えてくれなかったのか?」と、電話しながら、泣きそうな声で何度も話していた場面を、私は今でも鮮明に覚えている。実母のことを教えてもらえなかったことは、父にとって本当に可哀想だと、高校生ながらに感じた。

 

 今回、当事者になってみると、子どもに会えない親の気持ち、苦しさも痛いほど実感した。それと同じくらい、子どもも苦しさを抱えているし、別居しているパパやママに会いたいと思っている。だから、今、親子断絶状態にある方も、絶対に、子どもと会うことを諦めないでほしい。

 

 私の父は、30年以上、実母に会いたいと思って生きてきたが、その気持ちを封印してしまった。それ故か、いろいろあって、自分の家族に多大な迷惑をかけてしまったこともあったが、父の姿を見て、何歳になっても、子どもは本当の親に会いたいんだなと思った。

 

 私の子どもはまだ小さいが、第一次反抗期(同居中)の時には、ちょっと叱ると、「もう、パパなんて嫌い」と何度も言われた。しかし、「どうしたの~?」とか、本当に大事な時は「あっちの部屋でパパと二人でお話しよう」っていうと、子どもは「本当はパパと一緒に遊びたかった」と言われた。

 

 子どもも年齢によっては「親に会いたくない」と言ってくる時期もあると聞く。でも、「会いたくない」という言葉は、実は、愛情の裏返しでもあったりして、うまく表現できないから、恥ずかしいから、「会いたくない」と言うこともある。いったんは距離を置かなければならない時もあるかもしれない。しかし、どんなことがあっても、子どもと会うことを諦めないでほしい。私も引き続き頑張ります。そして、親子断絶には負けない。