miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

DV防止法を学ぶ~成り立ち~

 DV防止法により、親子断絶になり、悩み・苦しむ友人がいる。現在、「虚偽DV」という言葉があるように、配偶者からDVをでっち上げられて、離婚を要求されるケースも増加していると聞いている。改めて、DV防止法がどのような法律か、学んでみた。

 

 初回は、DV防止法の「成り立ち」について。2016年9月11日に開催された国際ジェンダー学会で、民主党政権時代に厚生労働大臣を務めた小宮山洋子氏が講演している。

 

ameblo.jp

↓シンポジウムの講演内容

http://www.isgsjapan.org/journal/files/15_komiyama_yoko.pdf

 

参議院「共生社会調査会」に,超党派のDV防止法を作るためのPTを作る参議院の調査会の中に共生社会調査会が98年にできた。その共生社会調査会の中で,何をやるか話し合い,最初は男性議員が自然との共生やいろいろ案を出していたが,ちょうど女性に対する暴力の問題が,国際的な人権会議などいろいろな場で問題になっており,日本もお金を出して女性に対する暴力のための基金をつくったり,国際的な流れがあったというのが女性に対する暴力に取り組むひとつの契機となった。当時,まだ内閣府ではなく総理府が調査をしたところ,20 人に1人が命に関わる暴力を家庭の中で受けていることが明らかになった。それは,「そんな家の中のことを国会の場など公のところでしゃべるのはとんでもない」という様なことを言っていた男性議員たちに大きな衝撃を与えた。女性に対する暴力の問題をやろうということに決まった。議員立法がうまくいくには,各党にキーパーソンが居ることが重要になる。その党を引っ張っていき,超党派のところで決めたら,党の中で手続きを通して成立させられるような力を持った人が居なければならない。恵まれていたのは,座長が自民党南野知恵子さんで,副座長が当時野党第一党だった民主党の私で,それから弁護士でもあった大森礼子さんが公明党共産党が林紀子さん,社民党福島瑞穂さん,それから当時は無所属でいらした堂本暁子さんであったこと。このメンバーでDV防止法が成立した年,2001年の10月に『詳解DV防止法』5)が出版されている。堂本さんは先輩だが,福島さんはじめ自分で言うのもなんだが私も含めて,ちょうど市民派と言われる人が98年の選挙で当選した。そのメンバーが共生社会調査会にいたということも,DV防止法ができるきっかけになった。その6人がメインになって,プロジェクトチームを作り3年間かけて,一から作った。  

 

  • 定義や適用範囲、配偶者暴力相談支援センターの設置、民間シェルターへの援助など、いろいろ議論した。

どんなことを話し合ったかというと,定義や適用範囲にしても,暴力の範囲はいわゆる精神的暴力や性暴力を含めるのかどうかということや,配偶者の範囲で,事実婚,元配偶者,恋人を含めるかどうかなどについて話し合いを重ねた。被害者の保護のための具体的な施策として,配偶者暴力相談支援センター(以下,「DVセンター」と記す)をとにかく作ろういうことだったけれど,相談や緊急に一時保護したり,カウンセリングをしたり,自立支援をしたり,いろいろなことをするセンターを作るのに,本当は新たな施設を作れば,売防法から脱することができたかもしれない。しかし,現実問題として3年間の間に作りあげなければならないということがあり,そのときに,新たな施設ではなくて,今ある婦人相談所などの既存施設の活用,婦人保護の施設を使うということになった。現行の婦人保護事業,婦人相談員の位置付けをどうするかということも話したが,そこから脱することができなかったということが今日の問題につながっている部分だ。また,今もまだまだ足りない,民間シェルターへの援助の話もした。

 

  •  保護命令創設にかかる議論。罰則付きの接近禁止の保護命令制度を作った。

現在,保護命令もたくさん年間で出ている。けれども保護命令をちゃんと加害者に罰則を加えるかたちで接近禁止などを作れるかどうかが,とても大きなテーマとしてあった。理由は,関係省庁の人たちの「日本の法制というのは刑事と民事が非常に明確に分かれていて,そんな民事のところに罰則を付けるようなことはできない」というところから始まったからだ。そこがなかなか大変なところだった。ただ罰則を付けないと,それは実効性に大きな問題があり,ここは相当議論した。結果的に罰則付きの接近禁止の保護命令制度ができた。 

 

  • 被害者支援のみで、加害者支援いわゆる「加害者更生プログラム」まで仕組みを作ることができなかった。制定から22年経つが、まだできていない。内閣府で議論中??

私がやり残している,残された課題だと思っているのが,加害者更生プログラムだ。被害者の支援は必要だが,それだけではなく加害者のほうを何とかしないとまた同じことが繰り返される。ただこれは,配偶者からの暴力防止法というDV 防止と,私も関わってきた児童の虐待防止,それから高齢者虐待防止。今虐待防止についてバラバラに3 つの法律があるわけだが,加害者更生プログラムは,そこを共同でひとつの仕組みがつくれないかということをずっと言い続けてきたが,なかなかそこがうまくいっていないということがある。

加害者更生プログラムを担う専門職が日本ではあまりにも少なすぎる。DV 防止法を
3 年間で作らなければという中で,そこはちょっと置いといてとなったのが,もう15 年も経ってまだそのままなのである。

 

  • DV被害者は男性もいることから「配偶者からの暴力防止法」との名前にした。

最初は女性に対する暴力防止と言っていて,プロジェクトチームの名前もそうだったのだが,特にアメリカなどではフライパンで夫を殴り殺した妻もいるとかいろいろ話が出てきて,女性から男性が暴力を受けた場合も対象だろうということで,「配偶者からの暴力防止法」という名前にし,法律が2001 年に成立した。

 

  • DV防止法の内容は不十分で3年後の見直し規定を付けた。しかし、第2次改正の2007年に見直し規定がなくなってしまった。

DV 防止法成立時はまだまだ足りないところがあるのはわかっていたので,3年後の見直し規定を付けた。2001 年に作り,その3 年後の2004 年の第1 次改正で,定義が拡大されたり,保護命令の対象が拡大されたりという改正が行われた。そしてさらにその3 年後の2007 年の第2 次改正で保護命令の拡充を行なった,市町村の基本計画の策定,それからDV センターに関する改正などの改正が行われた。ただ,この第2 次改正のとき,残念なことに,それまで入っていた3 年後の見直し規定がなくなってしまった。そういう枠を作っておかないと,議員たちも忙しいので,優先順位がどうしても下がってしまう。見直し規定がちゃんと作れなかったということもあって,第3 次改正は2007 年から6 年経った2013 年になった。

 

児童虐待防止についても,DV 防止法を参議院で作ったころ,同じころに衆議院の青少年問題特別委員会で児童虐待防止法が,議員立法で成立した。(中略)衆議院に変わってからは,今度は児童虐待防止法の見直しを2 回中心になって行った。(中略)今の世田谷区長をしている保坂展人さんや,この間まで文部科学大臣をしていた馳浩さんやそういう人たちと超党派で一緒に児童虐待防止法の見直しをした。支援をしている方たちから一番ずっと要望が強かったのは,日本はとにかく親権,親の権利が強すぎて,子どもの権利条約に批准したのに子どもの権利を守る基本的な法律がない国である。だから,児童福祉法も,子どもを保護の対象としか見ていないのを,これはNHK の解説委員をしていたころ,児童福祉審議会等で権利をちゃんと盛り込みましょうという議論があったのだが,結局それは実現できていないということがあった。そうした中で親権の一時停止や一部停止をしてほしいというのが関係者からの一番大きな要望だった。ただ,それについては法制審議会と法務省がなかなか動かなくて,児童虐待防止法改正のときに,附則のところにちゃんとそれを進めるようにと書いても書いても駄目だった。私が厚生労働大臣をしていたときに,親権の一時停止を実現するための児童福祉法の改正を民法改正と併せて行う法務委員会と厚生労働委員会の合同審査があり私が答弁者として関わるというような巡り合わせになった。それで一時停止ができるようにようやくなった。

 

  • 都道府県・市区町村の職員は法制定や法改正の意義をしっかり理解していない。

私は「第3 の人生は心豊かに生きたい。争いはあまりしたくない」と思っていたが,1 回だけ,副知事室で,児童相談所の所長や児童虐待の担当の県の職員の前で机をたたいて怒った。というのは,私たちが一生懸命子どもたちのために法改正をしたのに,現場はそれを理解してないというか,意識をしようとすらしない。自分たちが今までやってきたことしかやらないという感じだったので,それは違うでしょうと強く思ったからだ。虐待をした親というのは,さっき申しあげたように,こちらも更生プログラムがきちんとできていない。これも児童虐待防止法改正できちんと入れたかったのだが,ソ
ーシャルワーカーなどの専門職の数がドイツなどに比べてほんとうに少ない。それで実現しなかった。虐待した親に返す,家族の再統合は,それは大事かもしれないけれど,再統合したら子どもがまた虐待される場合もあるのに,とにかく再統合ありきで,親のほうを向いて行政は仕事をしているということがある。法改正プラス地域で地道に活動をしないといけないと思った。