miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

相手を変える前に、自分が変わること〜裁判手続きの連絡書面に思うこと〜

主張書面のテンプレ

 

 古賀礼子弁護士が、本年6月に発刊された「離婚・再婚家族と子ども研究 第5号」の中で、次のように言及している。

 

面会交流を開始させ、安定して継続させるためには、裁判手続の書面でありがちな強めの主張よりも、相手も同じ親として子を想う同志である、と尊重しつつ、わが子を大切に育てていることへの感謝と労いの表現を盛り込んだ連絡書面で交渉することが有用だとわかってきた。そうすることで相手方代理人との信頼関係を生み、協調関係の中で、面会交流を実現・拡充しうる。筆者は、こうした試行錯誤を重ねた自己流の交渉術が、いわばコミュニケーション術と重なっていると気付く。」

 

 また、以前、ツイッターで、古賀礼子弁護士から、次のようなコメントをいただいたことも思い出した。

 

子どもをめぐる事件を扱う古賀礼子弁護士

 

 自分の離婚事件を振り返りながら、本当にご指摘の通りだなと思った。私は、調停の当初から、弁護士を立てていたが、主張書面の原案はほぼ自分で書いていた。それこそ、裁判官から、「こんなに読めません」と嫌味を言われるくらい書いたこともあった。

 

 相手方の虚実織り交ぜた、負の感情を煽る主張には本当に辟易するものばかりであった。そして、当事者の界隈では、私も、ご多分に漏れず、いわゆる、裁判官ガチャ、調停委員ガチャ、相手弁護士ガチャに直面して、とても悩み、苦しんできた。こんな状況で、適応障害が悪化せずに済んだことが不思議でならない。

 

 その後、古賀礼子弁護士と山本麻紀コーチとの出会いがあり、いろいろなことを学ばせていただき、自分の中で何かが変わり始めたと思っている。

 

 確かに、当事者として、とても辛い思いを抱えていると、当然のことではあるが、被害感情も強くなっていく。そのような状況下で、自分の感情をコントロールすることは容易ではない。一方で、自分以外の相手をどれだけ批判しても、批判の応酬が際限無く続くだけで、相手が態度を改めることもない。相手を変えようと思っている間は、事態はより深刻になるだけだ。もちろん、裁判官にしても、調停委員にしても、相手方弁護士にしても、あまりにも酷い態度であれば、断固たる措置を考えることも必要かもしれない。

 

 しかし、相手をいくら変えよう、正そうと思っても、変わらないのが現実だ。本人が自覚しない限り、永久に変わることもないだろう。だからこそ、相手を変える前に、大変だけども、自分を変えることの方が、実は近道になるというわけだ。

 

 私の場合、調停や裁判で明らかにならなかったことはたくさんある。今の調停や裁判では、回答しなくても、そのままスルーできてしまう現実がある。家庭裁判所に調整機能が無いこと自体が問題であり、不満の温床にもなっている。したがって、私自身も、配偶者のことをすべて信用している訳では無いが、唯一、信用できたことは「子どもにとっては大事な親である」ということだ。その現実を受け入れた時に、自然に感謝と労いの気持ちも出てきた。まだ離婚してまもないけども、本当に離婚したのかという関係になりつつあり、子育てパートナーとしての第一歩を踏み出したところである。