miwasan0216’s blog

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【モリト弁護士に学ぶ】離婚後の親子交流を成功させる父母の「信頼関係」とは?

 当事者である私自身も、当初、「信頼関係」=「友好関係」と捉えていたが、この動画を見て、それは全く違うということがわかって、とても納得することができた。

 

 私は、先日、裁判離婚した。その後、子どもから、「どうして、パパとママは喧嘩しちゃったの?ドラえもんにお願いして、喧嘩した時にタイムスリップして、仲直りした方がいい」と言われ、ふと思ったことがある。

 

 それは、大人同士で見たら、とんでもない人間だったとしても、子どもから見たら、「親」は「親」であるということ。そう考えた時、子どもの視点に立ち、母親であることを尊重しないといけないと思った。そして、ちょうど、9月は子どもの誕生日でもあるので、子どもの誕生日会を、パパ・ママも同席の上、お祝いすることになった。

 

 

 さあ、「父母の信頼関係とは何か」、モリト弁護士に学んでいきたい。係争中の方は、主張書面でも活かせると思います。

 

youtu.be

 

  1. アメリカで共同監護を成功させる父母の信頼関係とは何なのか?ベック判決を紹介して、アメリカでは、信頼関係の中身を具体化させているわけです。つまり、子の養育に父母双方が関わり合えるかと文脈で用いられる「信頼関係の中身」とは、一つ目、父母が他方への敵意わだかまりを純粋に子供にとっての親としての役割から切り離せる、二つ目、子供に害を加えないこと、この2つが揃えば共同監護を成功させる父母の信頼関係はあると証明されるわけです。
  2. 日本では、父母の信頼関係の中身を全く具体化せず、「父母の友好関係」に転化させてしまっている。しかし、父母が友好関係があればそもそも離婚をするという事態は起きないわけです。だから、アメリカでのベック判決では親子交流を成功させる信頼関係を、決して父母の友好関係に転化させてはならないと判示しているわけです。すごく素直で自然な理屈だと思いませんか。
  3. 私が思うに、素直で自然な主張の対義語は、揚げ足取りだと思っております。素直で自然な主張は、そこに自己満足とヒステリックが潜んでいない。そのために、人々の心を打ちますが、ただの揚げ足取りは、自己満足とヒステリックがそこに潜んでいるため、人々の心を打たない主張になるわけです。
  4. 子どものために親子交流を成功させる父母の信頼関係とは、父母の友好関係ではない。ここがミソなんですね。しかし、日本では、全ての法曹関係者が父母の友好関係と捉えている。だから、父母の高葛藤という言葉を平気で用いてね、別居親に面会交流を断念させたり、面会交流が相手の協力なしに実現しないから憲法上保障されないと判断されるわけです。
  5. 我が子に会う権利は、喫煙の自由や旅行する自由などより全ての生命から湧き出る権利だと思いませんか。また、我が子に会うことはそもそも他人を介さないといけないものなんでしょうか。犬でも猫でもそうなんでしょうか。誰か人間以外、厳密に言うと日本人以外の生物を教えていただきたい。だから日本の家族法は素直な自然さを欠けていると申し上げているわけです。
  6. 法曹関係者は親子交流を認めるかどうかという文脈で父母間の信頼関係という言葉を用いる場合、アメリカのようにその中身を単なる父母からの好き嫌いの友好関係と捉えてはならない。そう捉えると子供が置き去りになる言葉に変貌するからです。そうではなく、先ほども申し上げたように、信頼関係とは一つ目父母が他方への敵意わだかまりを純粋に子供にとっての親の役割から切り離せるか、二つ目子供に害を加えないこと、この2つが信頼関係の中身であると法曹関係者は浸透させるべきだと思うわけです。