miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

「母をたずねて10年」、特別養子が捜す生みの親

 国連の「子どもの権利条約」では、「子どもはできる限り父母を知る権利がある」と記されている。日本は1994年に批准したものの、国内では、この権利は法制化されていない。ハーグ条約国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)においても、日本は2014年に批准しているが、国内での法制化が遅れている。これだけ見ても、いかに日本が、「子供の福祉」を大切にしていない国であるか、おわかりになるだろう。

 名古屋市の山田裕樹さん(28)は2020年から生みの母の実名をツイッターで挙げ、情報提供を呼び掛けている。アカウント名は「母をたずねて10年」
twitter.com


 山田さんは、3歳になる前に、特別養子縁組で育ての親と結ばれた。生みの母は、17歳で裕樹さんを産み、乳児院に預けた。交際相手だった父は、妊娠を知ると姿を消したという。以来、育ての両親から大切に育てられてが、「生んでくれた人に会ってみたい」と考えている。
www.yomiuri.co.jp

 私はそれは子ども心としては当然であると思う。実は私の父も、生みの母と育ての母がいる。生みの母は1歳の頃に、離婚し、父を置いて、家を出て行った。当時はまだ親権者が父親にあるとされた時代であった。その後、育ての母(私の祖母)が来て、父を育ててくれた。その父も、大学を卒業し、定年を超え、今は第二の人生を歩んでいる。

 今でも忘れないことがある。父は生みの母の名前も、顔も、存在すら全く知らずに育った経緯がある。それを知ったのが思春期であり、そこから両親に対して心を閉ざし、結婚後、私をはじめ、子供が生まれてからも、自暴自棄の人生を歩み、多額の借金を抱えた時もあった。その1年後、見知らぬ司法書士から連絡があり、「生みの母が亡くなった。父にも相続の権利がある」との話が舞い込んできて、父が抱えた借金が帳消しになった。その時に、父が、祖母や親戚に電話し、「どうして、生みの母のことを教えてくれなかったのか?」と寂しげに話していた記憶がある。

 今振り返ると、子どもというのは、何歳になっても、自分のルーツを知りたいし、何歳になっても、親を大切に思う気持ちがあるのだと知った。その後、父の生みの母の写真などを見せてもらう機会があったが、私(男)とそっくりだったので、驚いた(笑)

 血縁のない子どもと親子関係を結ぶ特別養子縁組。制度の創設から30年余りが過ぎ、現状では出自(ルーツ)をたどることは難しく、生みの親の情報を知る権利は保障されていない。日本は、子供の福祉を第一に考え、早く国内法を整備していただきたい。