miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

親子断絶に負けない!子どもはいくつになっても親に会いたいと思っている②

 

 

 怒涛の6月もまもなく終わろうとしている。まだ梅雨明けになっていないが、暑いし、蒸しているし、今年の夏はどうなってしまうのだろうか。

 

 さて、第二弾にしながら、最終回。今回は、私の亡き伯母を紹介したい。母の姉にあたり、夫婦に子どもがいないこともあって、私たち兄弟を自分の子どものように本当に大切にしてくれた伯母は、2015年10月に71歳で癌のため他界した。末期癌で、治療の施しようもなく、自宅療養を続けていた。最後に会った日を、今でも覚えている。結婚の報告をすると、痛みを堪えながら、「(私の名前)、あなた、幸せになりなさいよ」と言ってくれた。体調が悪く、結婚式には来られなかった。いま、私のこの状況を知ったら、どのように思うだろうかとふと思う時がある。しかし、いまの私には、助けてくれる方々がたくさんいる。結婚することが幸福で、離婚することが不幸ではないということも知った。不運な状況に置かれても、それに負けないことが、本当に幸福なことだと。

 

 話は戻るが、伯母は、昭和19年に青森県で生まれた。実父は地元で校長先生をし、5人姉妹で裕福な家庭であった。しかし、戦争によって、子どもたちを育てられない状況に陥り、終戦によって戦地から引き揚げてきた私の祖父と出会い、「なんとか子どもを育ててもらえないか」と頼まれ、明治生まれで義理・人情に厚い祖父は快諾し、伯母を引き取った。そして、祖父は、1人目の妻も2人目の妻も病気で亡くし、3人目に出会った妻が、私の祖母にあたる。そのもとに、私の叔父、母が誕生する。伯母を加えて、5人家族で生活をしていた。

 

 その後、1ヵ月に1回は、青森県から、伯母の実父母が、「祖父の知人」という体で、祖父母の自宅を訪れて、談笑していたという。祖母いわく、「祖父の偉いところは、心が広かったことだ」という。いま、私が考えてみても、なかなかできることではないと感じている。しかし、伯母がいざ入籍するという時に、戸籍を見て「養子」となっていたことで、これまでの経緯が発覚した。伯母は、祖母が本当のお母さんでないことはわかっていたが、祖父まで本当のお父さんではなかったことに非常にショックを受けたようだ。

 

 そして、本当の実父母は、毎月自宅に来ていた「祖父の知人」であったこと。入籍時点で、実父母が他界していたこと。いろいろ重なった。それでも、本当の姉妹とつながることができて、亡くなるまで交流は続いていたようだが、伯母は、実父母に、本当の両親であると認識して会いたかったと、ずっと話していたという。

 

 現在、社会問題になっている「親子断絶」と比較したら、まだ父の実母にしても、伯母の両親にしても恵まれていた方だと思う。父方の祖母も、母方の祖父母も、心が広かったと思う。様々な時代状況の中でできることは精一杯やったのだと思う。ただ一点、本当の親に会いたかったとの子どもの願いは、実現できなかった。

 

 現在、単独親権を違憲とする国賠訴訟が、様々な観点から提起されている。共同養育議員連盟の国会議員も、共同親権制の導入に向けて、奔走していただいている。現実は、すぐには変わらないけども、親として、子どもと会うことを諦めないでほしい。子どもたちは親に会うことを待っているし、子どもにとって父親・母親と呼べる人は、世界にたった一人しかいない。私の父や伯母の事例を見ても、どれだけ不自由ない環境で生活できたとしても、実の両親の存在を知らないまま育つことほど、子どもにとって辛いことはない。親子断絶に負けない!!