miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

義父母に問いたい!娘の幸せとはナニ?

 義父母から、「この若造が何を偉そうなことを言いやがって!」と言われそうですが、私は、敢えて、心を鬼にして言いたいことがある。それは、「結婚して送り出した娘の幸せとは何か、考えたことありますか?」ということだ。

 

 一昔前までは、「結婚したら、実家の敷居をまたぐんじゃない」と、父母は娘に言ったものだ。その意味するところは、単純に「実家に帰って来るな」という意味ではなく、父母が娘に対して、「簡単に離婚して実家に帰って来るんじゃないよ」と、戒めの意味があり、長い目で見て娘夫婦の幸せを願ってのことである。

 

 しかし、今、この現代はどうだろうか?その精神は薄れてきていると思わないだろうか?義父母は娘に対して、「何かあれば、いつでも戻ってきていい」と投げかけている。そして、娘は、躊躇することなく、何かあれば実家に戻る風潮がある。

 

 そこには、義父母による過保護や過干渉があり、それが原因で、娘の精神的自立を妨げ、「母子依存」や「実家依存」を助長していると言わざるを得ない。さらには、気づかないうちに、義父母が、娘夫婦の家庭を破壊しているのである。娘婿からしたら、たまったものではない。

 

 親であれば、誰であれ、「自分の子供が可愛い」と思うのは、当然である。子供を「可愛い」と思えない親は、親である資格はないだろう。しかし、娘が結婚してからは、娘の自立を促し、娘夫婦の自立した生活を願うことが義父母の役目ではないだろうか。いちいち、娘と娘婿の喧嘩に首を突っ込むのも控えるべきである。

 

 私は、ある時、義母に対して、「夫婦のことは、夫婦で話し合って決めさせてください。妻と義母で勝手に決めないでください。もっと、夫婦に自立した生活をさせてください」と、直言したことがある。返って来た言葉は、「私のことが邪魔だって言うんですか?」と。私は呆れて言葉を失った。自分の娘を過保護に扱うあまり、私や子供(義母からは孫)の生活は置き去りにされ、子供が幼稚園に行けない日々が続いた。毒親の典型である。釈尊の説話に出てくる、鬼子母神(自分の子供をかわいがるあまり、多くの人の子供を食い殺した説話)」そのものである。

 

 どうか、義父母の皆さんは、娘の幸せを長い目で見て、広い心で見守っていただきたい。娘夫婦の幸せを願っていただきたい。それができないのであれば、娘さんは義父母の手もとに置いてといて、結婚させない方が良いでしょう。

 

 誰もが幸福な世の中になるために。