miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

【先人に学ぶ】フランクルに学ぶを読んで①

 ご存知の方も多いと思うが、本名は、ヴィクトール・エミール・フランクルという名前で、オーストリア出身の精神科医、心理学者である。第二次世界大戦中、ナチス強制収容所から生還した人物である。代表作には「夜と霧」などがある。

 

 私は、斉藤啓一氏が執筆した「フランクルに学ぶ-生きる意味を学ぶ30章-」を読んでみた。それは、強制収容所という「絶望の地」から、どのような「意味」を見出し、出て来たのか。それを知りたかったからである。このブログを見ていただいている多くの方も、家庭の問題に直面し、「絶望」という境地を体験された方が多いと思うので、少しでも参考になれば幸いである。

 

 今日は、「フランクルに学ぶ」から1つ紹介したい。

 

 フランクルの言葉
 「絶望とは、もうすぐ新しい自分と新しい希望が生まれてくるという前兆である。」

 

 ①フランクルはいう。人間は、相当の苦難にも耐えられる力をもっている。しかし、意味の喪失には耐えられないと。

 

 そのため、中にはもう一度強制収容所に戻ることに憧れる者さえいたというのだ。いかにわずかであっても「いつか幸せになれる」という希望があったし、そのために生きるという「意味」があったからである。いかに悲惨で苦しくても、希望や意味が完全に消失するよりはマシだったのである。

 

 真に極限的な絶望は、収容所の中ではなく、解放後の市民生活の中にあったのだ。

 

 ②フランクルはいう。人は絶望的な経験を通して、すべての非本質的なものが溶解すると。

 

 すなわち、本当の自分ではない「虚構の自分」が溶けてしまうのだ。自我が消えてしまうのである。人はそのとき、完全な「無」となる。そのためフランクルが、「彼らは仕返しや復讐の気持ちを克服している」と述べたとしても、それほど以外ではないだろう。
 
 すべてを失った者、自分自身さえ失った者に、守るべき何があるだろう。それゆえ復讐心もなければ、名声欲も、権力欲もない。あるのはただ、神以外には何も怖れないという勇気、そしてまた、小さなパンの一切れが口にでき、ベッドで寝られ、点呼に立たなくてもいいこと、死の危険がある中で過ごさなくてもいいこと、これだけの状況さえ与えられたなら、あとはどんな運命も感謝をもって受け止めるという「謙虚さ」だったのである。

 

 ③ひとりの妹を残して、家族全員を失ったフランクルは、ウィーンに戻り、友人のもとを訪れ、泣き崩れてその胸中を訴えた。

 「こんなにたくさんのことがいっぺんに起こって、これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。僕には感じられるんだ。あたかも何かが僕を待っている、何かが僕に期待している、何かが僕から求めている、僕は何かのために運命づけられているとしかいいようがないんだ」

 

 誰もが幸福な世の中になるために。