miwasan0216’s blog

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駒崎氏の主張には客観性・合理性がない!

 共同親権反対論者の駒崎弘樹氏が、本年10月20日付の毎日新聞政治プレミアにおいて、「共同親権に反対 親の都合を子どもに強制する権利はない」と題する記事を出した。一読し、共同親権反対論者の主張には、もはや限界に来ているものと感じられた。特に、駒崎氏の記事は、エビデンスも提示されることもなく、「同居親は善、別居親は悪」という誤った先入観で物事を見ていて、なんら客観的合理的な説明はなされていない。

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 一部の情報では、駒崎氏は、“自身のNPOの利権を守るために共同親権に反対している”との声も見られるが、駒崎氏が根強く反対する理由には、利権だけではないと思われる。駒崎氏がこれまで社会活動家として活動してきた中で、トラウマになるような原因があったのではないだろうか。そうでなければ、ここまで実態を直視せずに偏った主張はできない。

 

【1】共同親権は子どもについての重要事項の決定権を別居した親が離婚後も持ち続けることを意味する。

 

共同親権を法制化するということは、日本人が一段と「懐の深い」人間に成長することに直結する。それは、夫婦間の高葛藤を下げ、子どもの視点に立ち、子どもの利益を中心に考えていくからだ。「重要事項の決定権」をお互いに持っていて問題はない。


【2】共同親権の問題としてよくDVの継続が指摘されるが、DVがなかったとしても非常に難しい状況に置かれる。

 

⇒DVや虐待が認められる場合は、例外として単独親権にすべきだ。これは推進派の人たちの中では共通認識である。「DVがなかったとしても非常に難しい状況に置かれる」とは、いかなることを指しているのか説明がない。「同居親は善、別居親は悪」と、単なる印象操作の類と受け取られても仕方ない。


【3】別れた配偶者が事実上の拒否権を発動できることになり、ずっと嫌がらせをすることが可能になる。

 

⇒DVや虐待をしていない別居親が、同居親に対してずっと嫌がらせをしていたケースはあったのか?エビデンスを提示していただきたい。実態は、むしろ逆である。子どもとの面会交流を拒むも、カネをよこせと嫌がらせをする同居親は多い。だから、養育費の不払い問題も発生するのではないか。


【4】DV被害者の問題はその先にあることで、深刻ではあるが問題の一部だ。

 

⇒これまで共同親権はDVや虐待の温床のように主張してきた駒崎氏が、DVというのは離婚問題の一部と主張を変えた。そうであるなら、DVや虐待の問題はしっかり対処する一方で、全体観に立ってみれば、「原則共同親権」が理に適っていることは明らかである。


【5】子どもにとって望ましくない親も多くいる。子どもの観点から子どもの最善を優先すべきで、親の都合を優先すべきではない。親が子どもと会うことが常に子どもにとっていいことだとは限らない。

 

⇒「子どもにとって望ましくない親も多くいる」とは、一体どういうことを指しているのか、説明がない。説明をせず、読者の主観に任せる発言をすること自体が、子どもや別居親に対する人権侵害である。望ましいか、望ましくないかは、第三者が判断することではない。子どもにとっては存在価値を否定されていることと同じだ。


【6】現在の単独親権のもとでは子どもに会えない親が、共同親権という法的権利を持ち出して強制的に面会させろと主張している。そのような親が子どもに会うことがいいことなのか。

 

⇒「共同親権」はまだ法律で定められていない。だから、法的権利ではない。同居親による面会交流の拒否、親子断絶などが平然と行われている日本社会の問題を直視してもらいたい。子の福祉の観点から、別居親に問題がないのであれば、子の自己肯定感を育むうえでも、いいことである。それを阻むことは、国際社会では許されない。


【7】やるべきことをまったくやっていない状況で親権、親の権利などと言うことができるのか。これを解決すれば、面会交流の問題などはおのずと解決するはずだ。

 

⇒これも誰のことを指しているのか、説明がない。説明をすることもなく、読者の推測に任せているところが、この記事の悪質さを物語っている。


【8】自分の理想の家族像を押しつけないでもらいたい。いろいろな家族の形があり、家族ごとに幸せの形がある。それを受け入れる懐の深い社会を作ることが本当の姿ではないか。

 

⇒「価値観を押し付けないでもらいたい」と最もらしいことを主張しているが、これ以上の主張がないことの証左である。共同親権を早期に実現することが、「懐の深い社会を作ること」になる。現在の単独親権制度は、別居親のみならずその家族をも不幸に陥れ、その不幸の上に同居親が自身の幸福を築く本末転倒の悪法である。