「共同親権」を取り上げた国会会議録を読んでみました。
※再婚禁止期間訴訟(担当・作花弁護士)で最高裁違憲判決を出した
③南野知惠子 法務大臣
○大谷分科員 時間がないので、次にもう一つ提案させてもらいます。
共同親権、要するに結婚中は共同親権ですよね、お父さんにもお母さんにも親権がありますよね。親が別れようとも、子供にとっては親はその二人なんですから、これはやはり親子のつながりがあるんですから、これは離婚しても共同親権ということで新しい概念をつくっていくようなことを提案されている有識者がおられて、私は、ああ、なるほどな、それであったら面接交渉権だの云々かんぬんだのというような、けんかではなくて、しっかりと、会う権利も含めて、育てる義務も含めて持てるというふうに思ったんですけれども、この点についてはどのようにお考えですか。
すべて子供に、お父さん、お母さんから愛されているんだよということを達成するという観点から答えてくださいね。法の解釈論とか法律でこうなっていますという話をしているんじゃないですから。
⇒平成17年(2004年)の段階で、「共同親権」を提案する有識者もいた。
○寺田政府参考人 おっしゃる共同での親権、共同での監護というようなことは、アメリカでも認められている制度でございまして、決してあり得ない制度ではございません。また、委員御指摘のように、本来であれば離婚後も両親が子供をそれぞれ見守っているという姿勢を示すという意味でも、一つのあり得る考え方だろうというふうには思われます。
ただ、日本の現状を考えますと、先ほど、いろいろなトラブルがなお絶えないわけでございますけれども、離婚後も両親が、まあ離婚というのも一つの人間関係だと割り切って、その中で子供を双方でうまく守ってやれるという土壌があるかどうかというのが一つの大きな決め手になるわけでございまして、それがないまま、ただ共同親権、共同監護ということになりますと、結局は取り合いということを離婚後も持ち越してしまうというようなことになりかねないわけでございます。
したがいまして、簡単にその制度を導入するかどうかということは問題でございますが、しかし委員の御指摘のように、これはやはり共同のある種の枠組みの中で物事を解決していくという、考え方自体は非常に重要な考え方だと思いますので、私どもも、今後もこの研究は怠りなくさせていただきたいというふうに考えております。
⇒日本で、共同親権はあり得ない制度ではない。一つの人間関係と割り切り、父母双方で子どもたちを守っていく土壌があるかどうかが決めてになる。
⇒最高裁違憲判決を出した裁判官だけあって、さすがの答弁だと思う。
○大谷分科員 この提案だけが、子供たちが親から、父母から愛されているということを知るための唯一の提案だとは私も思っていません。大事なことは、こんなものも含めて、何とか子供たちが離婚後親に会えないというようなことがないようなものを民法の中に織り込んでいく、そんな意識をまずしっかりと持っていただいた上で、御努力を続けていただきたい。
この問題はずっとこれからも続けていこうというふうに思っていますので、どうぞ長いおつき合いをしていただきたいというふうに思っています。
大臣、夫婦がいて、女性が不貞をされてそれが発覚して、それで離婚だ云々かんぬんだという話になりかけて、次の日の朝は、その女性が自分のおつき合いしている男性のところのアパートに子供を連れていく、その足で弁護士さんに駆け込む。子供は確保していますか、子供は確保しています、ではすぐやりましょうと。親権はこっちにつきます。だんなさん、男の人の方は何もしていないですよね。養育費を払っている。子供が会いたいと言ったら、これは今の日本の社会では会えないんですよ。絶対に異常だというふうに僕は思います。
それは大人ですから、いろいろなことが人生にあるんだというふうに思います。しかしながら、子供は小学生低学年、これは、家庭裁判所で争っているうちに二年、三年、四年たっていくわけなんですよ。その間、やはり親がもめているということは見ますし、親権をとった方の親は、もしかしたら、あの人はもう他人なんだよ、あの人は君のお父さんやお母さんじゃないんだよというようなことで、捨てられたのかなと思ってしまうことも多々あるというふうに思うんですよね。
こういうものを、大臣であるならば変えていくという、責務はもちろんですけれども、リーダーシップと意識さえあればできるので、ぜひとも最後に覚悟だけお聞かせいただきたいというふうに思っています。
⇒この実子誘拐問題は今も続いている。より深刻になっている。この頃、国会では、この現状が「異常だ」と言われていた。離婚ビジネスはこの頃すでにあったのか・・・。
○南野国務大臣 私個人の考え方といたしましては、やはり両親に、人と人とどうつき合っていくか、その中に、どう子供を産み、その子供とどうつき合っていくか、いわゆる家族のあり方ということについては、法に依存する前にもっと解決するものがあるのではないかなと思っております。
お互い人間的にどうしていくのか、両親の仲たがいというのは、特にDV法の観点からするならば、それは子供にとって一つの虐待であるということにもつながってまいります。
そういう意味では、両親は他人同士であるかもわかりませんが、一つ大きなそこの結合体が、きずなというものがあると思いますので、その心があれば子供は後ろ姿をちゃんと見てくれるのではないか、法律がこうなっているからおまえこっちに来いこっちに来いということの前に、私は、人間的な何かがあっていいのじゃないかなと。それは、その方が持っておられる仲間からのいろいろな助け合いもあるのかもわかりません、話し合いがあるのかもわかりません。そういうことをやっていくことが真の友情であり、夫婦のきずなを強めることであり、親子のきずなを強めることになるんじゃないかなと思っております。
私も助産婦の仕事をしておりました、看護婦の仕事をしておりました。そういう中にはバラエティーに富んだ家族がございました。その中から、これからもまた、その課題についてはしっかり学んでいこうと思っております。
⇒心が痛む。
○大谷分科員 いや、もう学ばないでも十分人生経験豊かだし、知っていると思いますので、ぜひリーダーシップを発揮してくださいませ。