日常生活で心掛けていること
エックスで、別居親の皆さんに「日常生活で心掛けていること」を伺いました。たくさんのコメントをいただきましたので、まとめました。現行法制下で、困難を極める戦いに挑んでいる別居親の「生きる知恵」です。この「生きる知恵」は、今後の人生をより豊かなものにしていくために、活かせているいけると思います。
※順不同
- 無理をしない。疲れた時は休む。弱音はすぐに吐く。怒りは吐き出す。
- 勘繰らない。邪推しない。今の状況をそのまま受け止める。
- 前向きに考える。
- 不遇を嘆く心に囚われない。
- 考えすぎない(子どもや自分の将来)
- 人生を楽しむ、真面目で頑張ってた生活を辞める
- 将来のために今やれることに挑戦
- 諦めない
- 自分を大事にする
- 身の危険を感じる時は注意する
- 苦難を糧にする
- 自責にも他責にもなりすぎない
- 相手に変わることを求めない
- 自分が変われることに挑戦する、自分がコントロールできることに意識を向ける
- 孤立しないで、生き抜いていく
- 相談相手を持つ
- 子どものことを信じて待つ
- 旅行や趣味、自己研鑽に没頭する
- 目標や夢を設定する
- 1日1回は爆笑する
- カッコいいお父さんになる
- 早寝早起きする
- カッコいいお母さんになる
- 現状を受け入れる
- 過度な期待はしない
- 相手の立場に立って、相手の気持ちを、自分なりに考える
- 自分と他人を比較しない
- 理不尽な現状を変えていくとの強い使命感を持つ
- じっと堪えて今に見ろ
- 生活基盤を確立する
- 失わなければあったはずの未来に目を向けるのではなく、これから手に入る・手に入れる未来に目を向ける
- 未来を信じる
- 過去に囚われ過ぎない、水に流せることは流してしまう
- 怒りや悲しみの感情を選び続けないこと
- 意見を言うときは一呼吸おきマイナス感情が入っていないか確認すること
- 自分が先に変わるのを恐れないこと
- 友好的であること
- 感謝すること
- 生きる、生かせれていると感謝する、生きることに焦る必要はないと毎日一回は思う
- 子のために相手方に生活費など取り決めた額、毎月払う
- 土日はなるべく外出する
- 誰が見てるかどうかではなく、信念で行動する
- 運動する(ウォーキング・ジョギング)
- 人事を尽くして天命を待つ
- 嫌な奴のこと、卑怯な奴のことを考えてる時、自分の人生をそいつらに捧げてるのと同じ
- 生きている意味を作らない
- 子供はいつか巣立つと考える
- 生き霊にならない
- 泣いてもいい
- アルコールに逃げない
- 沢山食べ、よく寝て、身体を動かす
- 幼稚な裁判所ごっこに付き合わされた後は毒を吐く(積極的に裁判所に通い多くの裁判官に会うと、ちゃんと判事してる人かどうか判る)
- 適度な休憩や無理のないスケジュール
- 物を壊したり自分を傷つけ過ぎない
- 電車のホームは気を付ける
- メンタル維持の為、休みに家族連れが行く所には行かない、思考を止める、人と合わない時間に出かける
「親子交流の頻度」と「自己肯定感の涵養」は比例する!
77年ぶりの家族法改正に向けて、国会で議論が続いている。
「子の最善の利益」というワードは漠然としているが、「子の自己肯定感を育む」ことが子の最善の利益に直結することは誰も異論ないだろう。そこで、親子交流と自己肯定感に関する統計調査の実施を、公明党の日下正喜衆議院議員にお願いしたところ、今国会で3回に渡って取り上げてくれているので紹介したい。
法務大臣の答弁で触れているが、心理学研究の中では、「別居親と親子交流をしていた子の方が、自己肯定感が高い」ことは実証済みである。したがって、結論は決まっているのだが、法務省が調査研究することで、その結果を立法事実として、“共同養育を原則とする社会”へ、法改正を進めていくことができる。
4月3日の参考人質疑で明らかになったように、共同親権導入(骨抜き論は置いてといて)に賛成派も反対派も、統計調査の実施には賛成意見を表明したので、法務省は速やかに実施すべきである。
現在、開催されている通常国会では間に合わないが、今後、法務省による調査研究が実施・公表されたら、親子断絶は間違いなく無くなる。そして、同居親の気分で親子交流の実施可否が判断されることはなくなるだろう。DVや虐待がないにも関わらず、「間接交流」という数か月に一度写真だけが送られてくるという、別居親にとって屈辱的なこともなくなるだろう。
<1、2024年3月14日開催 衆議院本会議>
私は公明党を代表して、共同親権の導入を柱とする民法等の一部を改正する法律案について質問させていただきます。父母の離婚が子の養育に与える影響は深刻なものであり、毎年十数万人のもの子が父母の離婚に直面している 現状を考えると、父母の離婚後の子の養育に関する法制度の見直しや各種の支援策の拡充は極めて重要な政策課題であります。
今回の改正案の最大のテーマは、父母の離婚に際して子の利益をいかに守るか、確保するかということです。江戸時代の名奉行と言われた大岡越前守の大岡裁き(子争い)という話があります。2人の女性が1人の子どもを巡り、「自分の子だ」と言い張って裁判となった話です。どちらも主張を譲らず、子どもの腕を両方から引っ張ることになり、片方は子どもが泣き叫ぶ姿を見て、思わず手を離してしまいます。勝った女は喜んで子を連れて帰ろうとしました が、越前守は「実の母親なら、子どもが痛がっていれば手を離すものだ」と手を離した方に子どもを引き渡したという話です。
私はこの中に子の利益、子ども真ん中の視点があるように 思います。双方の主張のみならず、子の姿、子に接する親の姿を通して、子の最善の利益を考えていくことの大切さを教えてくれているものと感じます。
では、子にとっての最善の利益とは何か。様々な要素はあろうかと思いますが、離婚に際して、私は何よりも子が 自分を産んでくれた両親から愛情を注がれていると感じること、自分の前で両親が争わないこと、結果的に離婚に至ったとしても、そのような環境で育つ子は幸せであると 思います。自己肯定感の涵養にもつながると考えます。77年ぶりの家族法制の見直しは、子を持つ父母のあり方を考える上でも、大きな転換をもたらすものになると考えますが、まず本法案の柱になっている子にとっての最善の利益とは何なのか、小泉法務大臣、そして、子ども家庭庁を所管する 加藤内閣府匿名担当大臣のご所見を伺います。
〇小泉法務大臣
子にとっての最善の利益の意義についてお尋ねがありました。何が子どもにとっての利益であるかは、それぞれえその子が置かれた状況によっても異なると考えられるため、一概にお答えすることは困難ですが、その子の人格が尊重され、その子の年齢及び発達の程度に配慮されて養育され 、そして新身の健全な発達が図られることが、子の利益であると考えております。
〇加藤こども政策担当大臣民法等改正法案における子にとっての最善の利益についてお尋ねがありました。法務大臣からの答弁でもありました通り、何が子にとって最善の利益であるかを一概にお答えするのは困難ですが、子の人格が尊重され、子の年齢及び発達の程度に配慮され、養育され、心身の健全な発達が図られることが、子の利益であると私も考えます。こども基本法におきましては、子ども施策の基本理念として、全ての子どもについて、その最善の利益が優先して考慮されることが掲げられており、こども家庭庁としては、こうした理念に乗っ取り、こども施策を推進してまいります。
<2、2024年4月3日開催 衆議院法務委員会>
子どもの、今回、子の利益っていう事なんですが。幸福度の大切な指標というですかね、自己肯定、それと親子交流の意義についてお聞きしたいと思います。
私は、子にとっては、父と母は自分をこの世に生み出した直接のルーツであり、自身のアイデンティティの形成にも深く関わっていると思います。本来、子供は父・母との交流、触れ合いを求めるものだと思いますし、離婚後も子どもは出来るなら、両親からの愛情を感じながら成長してもらいたい、と考えております。この幸福感というか、自己肯定感っていうのは、「自分が必要とされているのか?」「居てもいいのか?」なっていうふうな事ですね。あと、「役に立つ存在なのか?」「自分に満足しているか?」っていうような事なんですけれども。
DV虐待を考えると、様々な状況や意見の違いもあると思いますが、適切な親子交流は、子どもの自己肯定感の形成にどのように影響するものか?それぞれが私見で論じるよりも、統計的に調査する事も必要ではないのか、というふうにも感じております。これについて北村参考人、そして原田参考人のご意見を伺いたいと思います。
仰る通りだと思います。我々も、検討の中で諸外国の統計資料の調査結果を確認しました。今、手元にありませんけど、後で送ることは可能です。それによりますと、月に1回しか会えない別居親、と。月に1回しか会えないお子さん、と。月に4回、或いは月に半月近く継続して会えるお子さんと比較すると、自己肯定感が継続的に会えるお子さんの方が、遥かに高いと言う調査結果が出ております。これは後で、お送りさせて頂きますという意味で、大変重要だと思います。
◯参考人(原田直子 弁護士)
私自身も、お父さんやお母さんから、愛されるという事が実感できるという事は、とても大事なことだと思っています。(以降、省略)
私、質問したのはですね、「自己肯定感」と「共同親権」の話じゃなくてですね。「自己肯定感」と「親子交流」、触れ合いっていうかですね、父親から声を掛けてもらう、母親から、別居の母親から声を掛けてもらう。また、子どもからも、いろんな事を親に伝えられる。どのような交流がですね、果たして自己肯定感の醸成にどうつながっていくのか。また、そういった事は、個々に論じるんじゃなくて、一度やっぱり統計をですね、取るという事も必要ではないのか、と言うふうな事での質問をさせて頂きました。改めて、何かありますか。
◯参考人(原田直子 弁護士)
はい。統計を取る事は必要だと思いますし、私も、そうして頂きたいと思います。
<3、2024年4月5日開催 衆議院法務委員会>
私は本会議で、子の最善の利益について、父母からの愛情を注がれていると、子どもがですね、感じる事、それは子ども自身の自己肯定感の涵養にも繋がるのではないかと申し上げましたが、実際にはどうなのか。日常的に、親子交流が出来ている子と、片親と会えない子で、自己肯定感の形成に、ですね、違いがあるのかないのかですね、これ様々なご意見あろうかと思いますが。統計的な調査があれば、お示し頂きたいのですが。なければ、ですね、これは子の利益、親子交流のあり方を考える上でも大切な指標になる、と思いますので、是非、調査研究の中に加え、実施して頂きたい、というふうに思います。
先日、参考人質疑でもですね。その旨、原田参考人、また北村参考人も、ですね。是非、それは進めて欲しいという風なご意見でございましたので。これについて、大臣のご所見をお伺いします。
親の別居、離婚を経験した子どもを対象とした、心理学分野の複数の研究結果がございます。それによりますと、DV等がある事案を除いて、親子交流が、継続して行われている分の方が、親子交流が行われた事がない、または親子交流が中断した分と比べ、自己肯定感が高く、親子関係も良好である事が指摘されています。
今後、ご指摘のような調査を行うかどうかについては、本・法案の施行状況と共に、注視しつつ、適切に対応したいと思います。
小泉法務大臣の答弁の根拠になった(と思われる)心理学分野の複数の研究結果を紹介する。
<1、青木聡教授・臨床心理士(大正大学人間学部臨床心理学科)の見解>
※論文「面会交流の有無と自己肯定感/親和不全の関連について」
① 共同養育の法制化に弾みをつけた非常に有名なウォーラースタインらの縦断的研究(親の離婚を経験した子どもたちを25年以上にわたって追跡した調査)によると、離婚後の生活によく適応し、心理状態がもっとも良好であったのは、別居親と定期的に面会交流を持ち続けた子どもたちであった。逆に、面会交流を実施しなかった場合、子どもは「自己肯定感の低下」、「基本的信頼感の低下(対人関係の問題)」、「社会的不適応」、「抑うつ」、「ドラッグ/アルコール依存症」、「離婚や片親疎外の世代間連鎖」等で苦しむことが報告されている。
②バウズマンは、離婚後の共同養育と単独養育の比較研究について詳細なメタ分析を行い、「全般的な適応」、「情緒面の適応」、「行動面の適応」、「対人関係」、「家族関係」、「自己肯定感」、「学業成績」、「離婚に対する認識」といった複数の側面において、共同養育の方が単独養育よりも子どもの適応度が高いことを明らかにしている。
③別居親と面会交流をしていない子どもは、「自己肯定感」が低くなり、「親和不全」が高くなることがあきらかになった。一方、たとえ親の離婚を経験した子どもであっても、別居親と面会交流を続けている場合、両親のそろっている家族の子どもと比較して「自己肯定感」および「親和不全」の得点に差が出ないことも明らかになった。この結果は、離婚後ないし別居中の子育てにおける面会交流の重要性を明白に示している。今回、家族観や離婚観、子育てに関する文化の違いを越えて、欧米諸国の先行研究とまったく同様の結果が得られたことは、非常に重要な意味を持っている。前述のように、欧米諸国ではこうした実証的研究を地道に積み重ね、実証的根拠に基づいて共同養育の法制化に針路を定めた。日本でも同様の調査結果が得られた以上、国際的な常識に倣って子どもの福祉を中心に据え、離婚後の共同養育の法制化を早急に実現すべきではないだろうか。
※論文「親の離婚を経験する子どもの発達に大切なこと 共同養育と子どもの意思の尊重」
①子どもは、共同養育により両方の親と定期的に交流し愛情と養育を受けることができ、自尊心やアイデンティティの確立に好ましい影響を受けることが明らかになっています。子どもは親から愛されることで自分を受け入れ、人を愛することができるようになります。また、子どもは、別居親と交流ができることで、別居親が自分と会おうとしない理由は何だろうか、自分は望まれない子どもだったのだろうかなどと心配しないで済みます。さらに、両親は相手への敵意や憎しみの感情をわきに置いて、協力して子育てをするという人間関係の築き方のモデルを子どもに示すことができます。子どもは、両親の相手への態度を見て、将来恋人ができたときの異性への接し方を学び、職場に大嫌いな上司や同僚がいても、その気持ちを抑えて、仕事上の付き合いができるようになるのです。
※「離婚と面会交流」の序章「子ども中心の面会交流に向けて」
②親が離婚した子どもの75~80%が精神的健康や自己肯定感、学業成績などの問題を抱えておらず、親の離婚による長期的影響は受けていないという報告もあり、両親がともに子どもに育に関わり続け、子どもに愛情を注ぎ、温かさと権威をもったしつけをすれば、子どもの離婚による影響を最小限に抑えることができることも明らかになっている。
※「離婚と面会交流」の第Ⅰ部第3章「離婚と子どもの研究と必要な支援」
③離婚後も子どもが両方の親と日常的な交流を持つことで,離婚による子どもの心身への影響を和らげることが国内外の研究で分かっている。(中略)調停や審判で決まる日本の面会交流の多くは月1,2回。一方,私が専門に研究している米国では,子どもが日常的に別居親と会っている。例えば3歳児は記憶の容量が小さいので,月に1度ではすぐ忘れる。発達段階に応じて,別居親も対等な立場で子育てに関わるべきだ。共同親権の導入によって,離婚後も2人で子育てする「共同養育」がスタンダードなことだと社会の意識を変えていける。
「共同監護に挑戦!」<1>はじめに
ご無沙汰しております。久しぶりのブログ投稿になります。
昨年9月に投稿して以降、子どもたちの近くに転居して、慌ただしい日々を過ごしておりました。世の中は、いよいよ、77年ぶりの民法の家族法改正に向けて動き出していますね。
さて、私は、まもなく、離婚して6ヵ月(※高裁取り下げしたので正式には11ヵ月)です。現在、共同監護への道を切り開くため、日々挑戦、日々葛藤の毎日です。私のこれまでの歩みを振り返りますと、なんと、離婚事件に関わる家裁手続きをほぼすべて経験していました!!
<経験した家裁手続き>
- 離婚調停
- 離婚裁判(家裁→高裁)
- 監護者指定調停(調停→審判目前で取り下げ)
- 婚姻費用調停
- 面会交流調停(申立人はなんと相手方)
- 民法752条(同居義務)調停
<経験した刑事手続き>
7.住居侵入による刑事事件
2年間で上記7件を経験しました。何の自慢にもなりませんが、ただただ、家庭裁判所という場が、「公正中立な場ではない」ということは、身を持って経験しました。当事者の皆さんもすでに経験されているように、まさに「絶望の裁判所」です。
離婚問題に直面して、初めて、単独親権?、算定表?、親子断絶?という言葉を知り、その理不尽極まりない状況も経験しました。ただでさえ、「別居」という事態で、私自身が適応障害を発症し、その上、上記の理不尽な家裁手続きを経験し、よくぞ、適応障害が寛解したと、今は、自分で自分を褒めたい気持ちです。
最終的に、私は、裁判離婚で、離婚認容判決が出て、離婚しました(その後、高裁へ控訴するも、親子交流の拡充で取り下げました)。離婚の内、85%は協議離婚、14%が調停離婚、残り1%が裁判離婚です。その内、離婚裁判になれば、多くの方が離婚を前提に条件面の協議をする「和解離婚」の選択をとる方が多いです。そして、私のように、「相手の主張は無茶苦茶である」、「でも、子どもが3人いるから離婚しない」、「請求棄却を求めます」というケースは、ほとんどありません。
私も後になって教えていただき、納得できましたが、①離婚裁判になると時間との戦い、別居期間で夫婦関係破綻とされてしまう、②請求棄却の割合は3年に1回あるかないかというくらいレアケースです。このようなことを知らなかったので、ひたすら請求棄却を求め続けた1年間の裁判闘争でした。したがって、私のケースは、「離婚の中でも、最も最悪の形で離婚したケース」に該当します。しかし、それでも、多くの方々の助けと応援によって、今、少しずつ共同監護への道が切り開けています。
このような事態になる特殊な事情もありますが、今、調停や裁判で絶望しか感じない方々、親子断絶に苦しむ方々に、少しでも希望を持ってもらいたいと思って、このブログを書いています。当事者の皆さんは、それぞれが孤独と寂しさと絶望の淵で、悩んでいらっしゃると思います。しかし、どん底を経験したら、あとは上っていくだけです。どん底を経験した人は、順風満帆に生きている人よりも深い生き方ができると確信しています。
これからブログに書くことは、参考になることもあるかもしれないし、参考にならないこともたくさんあるかもしれません。家族の形や考えは多種多様だし、今、当事者全員が「これからの共同監護のモデルケース」です。各自で取捨選択して、「オリジナルの共同監護」を築いてください。共に、頑張りましょう!!
【モリト弁護士に学ぶ】日本が見習うべき、アメリカ・アリゾナ州の共同親権制度!①
モリト弁護士が、アメリカ・アリゾナ州の「真の共同親権制度」を紹介している。アリゾナ州の親子交流の考え方は、極めて合理的!本当に日本も見習うべき制度であり、すぐにでも導入してもらいたい制度である。
先進国の先を行く、アメリカ・アリゾナ州の離婚後の親子交流に関する制度を、今日紹介したいと思います。というのも、このアメリカのアリゾナ州の共同親権制度こそ、真の共同親権だと弁護士モリトは思っている。この制度こそ、本当に子供の利益にかなう制度だと思っているんです。
モリト弁護士が紹介している「アメリカ・アリゾナ州の親子交流プラン」のもとの資料は何か、探したところ、アリゾナ州が出している「Model Paranting TIme Plans for parent/child access(アリゾナ州最高裁が出した「子ども養育プラン」)」が原文と思われる。しかも、なんと、この原文は法務省のホームページに「和訳付き」で掲載されている。なお、和訳は、原文の後半に掲載されている。
https://www.moj.go.jp/content/001354879.pdf
法務省は、世界最先端の親子交流の事例を載せておきながら、自国においては、今回の法務省案を見て、ご存知の通り、話にならないレベルの文言しか記載していない。なんて言うことだ。一体、法務省は、どこを見ているんだ・・・。もう、言葉にならない。
さて、モリト弁護士の説明をまとめると以下の通りになる。
<アリゾナ州における親子交流のパターン>
- 誕生から1歳まで
乳幼児は長期間経験を記憶にとどめておくことはできない。両方の親と頻繁な接触を持つこと、予見し得るスケジュールを持ち、いつものことをすることが重要となる。プランA(1):毎週3回3時間から6時間の親子交流
プランA(2):毎週2回6時間の親子交流
プランB:毎週2回3時間+毎週1回8時間の親子交流
プランC:毎週2回3時間から6時間+毎週1泊の親子交流
- 1歳から2歳まで
1歳から2歳児は周辺の世界と頻繁に接触する人々をよりよく認識するようになる。この年齢の赤ん坊は祖父母、親類縁者、デイケアの人たち、ベビーシッター、当該児と頻繁に接する家族の友人たちを含む多くの養育者に愛着を感じることがあり得る。プランA(1):毎週3回3時間から6時間の親子交流
プランA(2):毎週2回6時間の親子交流
プランB:毎週2回4時間+毎週1回8時間の親子交流
プランC:毎週2回3時間から6時間(日中の時間帯)+毎週2泊の親子交流
- 2歳から3歳まで
2歳から3歳の年齢は子どもが独立心を培うのに重要な時期である。この年齢の子どもは独立心を持ち始めつつあるが、養育者にしがみついたり、離れることに抵抗する。プランA(1):毎週2回3時間から4時間+毎週1回8時間の親子交流
プランA(2):毎週2回3時間から6時間+毎週1泊の親子交流
プランB:毎週1回3時間から6時間+非連続の毎週2泊の親子交流
プランC:毎週1回3時間から6時間+毎週2泊の親子交流
- 3歳から5歳まで
3歳から5歳児はいつもの養育者には愛着を感じ、別れは彼らを不快にさせ不安にさせる。(中略)3歳から5歳児は同年齢の子どもたちとの、両親とは離れた体系化された時間から利益を得るかもしれない。この時間は彼らが社交スキルを身につけ、両親と離れていても安全で幸せであり得ると知ることに役立つ。プランA(1):隔週に2夜連続の宿泊+毎週1泊または午後・夕方の時間を追加
プランA(2):隔週の1週目に3夜連続の宿泊+2週目に1泊または3時間から4時間の午後・夕方の時間を追加してもよい
プランB:隔週の1週目に4夜連続の宿泊+2週目に1泊または3時間から4時間の午後・夕方の時間を追加してもよい
プランC(1):両親は1週間ごとに分け合う
プランC(2):いずれの親も2夜連続の宿泊を持ち、週末は交互に持つ
- 6歳から9歳まで
6歳から9歳の子どもは一方の親が愛してくれないとか、一方の親を失うのではないかと心配するかもしれない。また一緒にいない親への強烈なあこがれを経験するかもしれない。この年齢の子どもたちが両親は再び一緒になると空想することは普通のことである。プランA(1):隔週に2回の2連泊+毎週3時間から6時間または1泊を追加するのもよい
プランA(2):隔週に3夜連泊+毎週1回4時間から6時間
プランB:隔週にて、1週目に4夜連泊+2週目にプラス1泊
プランC(1):1週間ごとに分割※いずれの親も当該児の勉強により多く参加できるようにする。また、いつもと変わらぬ日常を提供し、当該児が4日間だけ一方の親から離れる能力を育み、毎週いずれかの親と一緒に「家にいる」日を持てるようにする。例えば、一方の親が3泊、他方の親が4泊とする
プランC(2):各々の親が2夜連泊を平日+週末は交互に持つ
プランC(3):両親は7日間の期間を交互に持つことによって子どもとの時間を共有する
- 10歳から13歳まで
10歳から13歳までの子どもはしばしば両親からの独立を欲し、自分の友人たちにより大きな愛着を持つようになる。離婚したことについて一方の親を責め、家族の破壊を怒り当惑し、他方の親に味方するかもしれない。いずれの親も2回の2週間の期間、または、1回の4週間の期間の権利を持つ
※プランは無し。但し、細かい決まり事はある。
- 14歳から18歳まで
子どもたちは独立を欲し、自分自身で決定することができると思いたがる。しばしば彼らの焦点は家族よりも友達、学校、活動あるいは仕事にある。(中略)両親は柔軟性を持って、子どもが自分の必要性は自分で満たす能力をつけていくのを許容すべきである。プランA:1週間置きに2夜連泊+(オプション)毎週午後・夕方の時間が1回。1つの家が「ホームベース」となる。
プランB:両親は7日間の期間を交互に持つことによって子どもとの時間を共有する
プランC:両親は14日間の期間を交互に持つことによって子どもとの時間を共有する
<親子の面会が長距離の場合>
これも細かく定められている。詳しくは資料を参照していただきたい。ここではモリト弁護士の解説を紹介する。
- アメリカの場合、転居について、親子交流が子供の利益に直結するものだから、その親子交流を制限されてしまうような転居については裁判所の許可がそもそも必要となる。
- やむを得ずね、100マイル(約160km)以上、他方の親と離れた場所に転居しなければならなくて、裁判所から許可が出た場合、1か月に2回別居親から、面会訪問を行った上で、毎年最低4回長期面会期間といって、夏休み冬休みなどの長期間滞在を伴う親子交流を最低年4回は認めている。
- このような「暮らしの共有」が実現されると、監護権などという権利は不要になるわけです。要は、互いに権利を称して争っている時代じゃないんです。暮らしの共有を認め合うから、そんな監護権という権利はいらなくなってくる。
【モリト弁護士に学ぶ】離婚後の親子交流を成功させる父母の「信頼関係」とは?
当事者である私自身も、当初、「信頼関係」=「友好関係」と捉えていたが、この動画を見て、それは全く違うということがわかって、とても納得することができた。
私は、先日、裁判離婚した。その後、子どもから、「どうして、パパとママは喧嘩しちゃったの?ドラえもんにお願いして、喧嘩した時にタイムスリップして、仲直りした方がいい」と言われ、ふと思ったことがある。
それは、大人同士で見たら、とんでもない人間だったとしても、子どもから見たら、「親」は「親」であるということ。そう考えた時、子どもの視点に立ち、母親であることを尊重しないといけないと思った。そして、ちょうど、9月は子どもの誕生日でもあるので、子どもの誕生日会を、パパ・ママも同席の上、お祝いすることになった。
さあ、「父母の信頼関係とは何か」、モリト弁護士に学んでいきたい。係争中の方は、主張書面でも活かせると思います。
- アメリカで共同監護を成功させる父母の信頼関係とは何なのか?ベック判決を紹介して、アメリカでは、信頼関係の中身を具体化させているわけです。つまり、子の養育に父母双方が関わり合えるかと文脈で用いられる「信頼関係の中身」とは、一つ目、父母が他方への敵意わだかまりを純粋に子供にとっての親としての役割から切り離せる、二つ目、子供に害を加えないこと、この2つが揃えば共同監護を成功させる父母の信頼関係はあると証明されるわけです。
- 日本では、父母の信頼関係の中身を全く具体化せず、「父母の友好関係」に転化させてしまっている。しかし、父母が友好関係があればそもそも離婚をするという事態は起きないわけです。だから、アメリカでのベック判決では親子交流を成功させる信頼関係を、決して父母の友好関係に転化させてはならないと判示しているわけです。すごく素直で自然な理屈だと思いませんか。
- 私が思うに、素直で自然な主張の対義語は、揚げ足取りだと思っております。素直で自然な主張は、そこに自己満足とヒステリックが潜んでいない。そのために、人々の心を打ちますが、ただの揚げ足取りは、自己満足とヒステリックがそこに潜んでいるため、人々の心を打たない主張になるわけです。
- 子どものために親子交流を成功させる父母の信頼関係とは、父母の友好関係ではない。ここがミソなんですね。しかし、日本では、全ての法曹関係者が父母の友好関係と捉えている。だから、父母の高葛藤という言葉を平気で用いてね、別居親に面会交流を断念させたり、面会交流が相手の協力なしに実現しないから憲法上保障されないと判断されるわけです。
- 我が子に会う権利は、喫煙の自由や旅行する自由などより全ての生命から湧き出る権利だと思いませんか。また、我が子に会うことはそもそも他人を介さないといけないものなんでしょうか。犬でも猫でもそうなんでしょうか。誰か人間以外、厳密に言うと日本人以外の生物を教えていただきたい。だから日本の家族法は素直な自然さを欠けていると申し上げているわけです。
- 法曹関係者は親子交流を認めるかどうかという文脈で父母間の信頼関係という言葉を用いる場合、アメリカのようにその中身を単なる父母からの好き嫌いの友好関係と捉えてはならない。そう捉えると子供が置き去りになる言葉に変貌するからです。そうではなく、先ほども申し上げたように、信頼関係とは一つ目父母が他方への敵意わだかまりを純粋に子供にとっての親の役割から切り離せるか、二つ目子供に害を加えないこと、この2つが信頼関係の中身であると法曹関係者は浸透させるべきだと思うわけです。
実は、裁判官研修に「民間企業派遣研修」があった!?
家庭裁判所を利用した当事者から、裁判官・調査官・調停委員の非常識な態度・言動の声が上がっている。私も当事者の一人として、全く常識がない人たちに出会ってきた。特に、裁判官は身分が保障されている上、社会から閉ざされた環境にいるため、庶民感覚が皆無と感じた。だから、民間企業へ出向させた方が良いと考えていたが、国会会議録を読んでいたら、すでに制度として確立されていたことがわかった。
これも同感です。今後、裁判官の採用条件に、「民間企業で10年勤務」としたらいいのではないかと思う。司法修習時代の上位成績で決めるのではなく、世間の感覚を磨き、対人関係スキルなどを学ぶ訓練が必要です。 https://t.co/FxOwRmemws
— 🌟Miwa@3児の別居父🌟 (@miwasan0216) 2023年2月16日
裁判官を検察庁へ出向させるぐらいなら、民間企業の営業部門へ出向させて、社会経験を積ませた方がいいと思います。今も昔も、裁判官は社会常識がなさ過ぎる。 https://t.co/BAASBvT8wO
— 🌟Miwa@3児の別居父🌟 (@miwasan0216) 2023年8月13日
「裁判官 企業研修」と検索すると、裁判所のホームページ「裁判官研修」の項目に、「派遣型研修」とのタイトルで次の内容が掲載されている。
3. 派遣型研修
判事・判事補については、社会・経済の実情等についての理解を深めるとともに、裁判官としての視野を広げ、識見を高めることを目的として、一定期間、民間企業等において、その業務に主体的に携わったり、体験したりなどする派遣型研修を実施しています。
派遣型研修は、昭和57年に始まり、その後、関係各方面の協力を得ながら新しいコースを設け、東京だけでなく、大阪や名古屋等においても、様々な業種の企業で研修を行うなど、順次拡大されてきました。
現在、多くの民間企業や報道機関等の協力により、年間50人程度の裁判官を派遣しています。
2018年時点の裁判官人数は、3060人と公表されている。その内、民間企業研修で派遣されている裁判官は、年間50人程度である。毎年、1.6%しか民間企業での研修を経験していないことになる。昭和57年に始まったようだが、累計でも2000人弱。民間企業研修を受けた裁判官の名前を公表してもらいたいものだ。しかも、国会答弁を見ると、民間企業研修は「原則希望制」のようだ。希望がなければ、研修も「無い」ということだ。年間50人という数字も、本当かどうか疑わしい。
また、国会議事録を見ると、長期型・短期型の研修があるようだが、累計2000人も民間企業研修を受けていながら、現在もなお、非常識で、庶民感覚の無い言動や態度が横行している。研修の内容まではわからないが、つまりは、「修行が足りていない」ということだ。したがって、「民間企業研修は、裁判官全員に義務付けるべきだ」と考える。今の状態は、「絶望の裁判所」そのものだ。
最後に、令和3年4月6日の「第204回国会参議院法務委員会」において、裁判官研修について取り上げた、立憲民主党の真山勇一参議院議員の国会質問を紹介する。結構、切り込んでいて興味深い内容だった。
○真山勇一君 (省略)やはり家庭裁判所の、何かとっても世間と懸け離れた判断が平気で、平気かどうか分からないですけど出す、私は平気でという感じがするんですよ。だって、余りそれにこだわらないみたいな感じがするから。だから、やはり裁判官というのは、私たち国民から見たら、やっぱり正義を大事にする、真理を大事にする、世間の一般常識大事にするということじゃないけど、何かそこから懸け離れているんじゃないか。
本当に、じゃ、裁判官忙しくない、まあ忙しい方もいらっしゃるかもしれませんが、裁判官というのはどうなんでしょうか、自己研さんとか、あるいは姿が見えない裁判官が例えば地元で社会参加なんかする、そういうことってありますか。
○最高裁判所長官代理者(徳岡治君) お答え申し上げます。
裁判官が適正迅速に紛争を解決していくためには、人間性に対する洞察力や社会事象に対する理解力等も求められると考えられるところでございます。このような観点からは、まずは各裁判官が主体的、自律的な自己研さんを通じて成長していくことが重要であると考えております。各裁判官の負担の程度は各裁判所の事件動向や事件処理状況等によるところではございますが、各裁判官におきましては様々な工夫をしながら自己研さん等を行っているものと承知をしております。
また、最高裁といたしましては、各裁判官の自己研さんを支援するために、判事補につきましては民間企業等への長期派遣、あるいは弁護士職務経験等の外部経験プログラムを実施しますとともに、判事につきましても民間企業や報道機関で短期研修するプログラムを設けるなどして、各裁判官の知識、経験を豊かなものにして視野を広げることができるようにしているところでございます。
○真山勇一君 そういういい制度があって、そしてそういうことを実施されているとすると、裁判官、それ一部の方だけしか利用できないんですか、それともきちっと全員がそういうことができる、そういう体制はあるわけですか。
○最高裁判所長官代理者(徳岡治君) お答え申し上げます。
各裁判官による自己研さんを支援するという観点から、外部の経験プログラムや司法研修における研修は原則として希望制によって実施しているところでございますけれども、その成果につきましては、各裁判所における報告会等の機会を通じて広く共有されているものと承知をしております。
○真山勇一君 是非確実に、希望者は。それから、希望、押し付けちゃいけないと思いますね、それはやはり裁判官という仕事柄。やはり、皆さんが希望できるような、そういう体制にやっぱりしていかなくちゃいけないと思うんです。
裁判官とともに大事なその調査官、調査官の研さんというのはどういうふうになっているんでしょうか。この調査官の方は、私は、本当に一般的な市民の感覚、こうしたものを理解しているということ、とっても大事じゃないかと思うんですね、直接面接していろいろ意見聞くわけですから。だから、調査官なんかはどんなふうに研修、研さんなどできるような体制になっているんですか。
○最高裁判所長官代理者(徳岡治君) お答え申し上げます。
家庭裁判所調査官は、家庭裁判所調査官補として採用された後、約二年間の家庭裁判所調査官養成課程を修了し、任官をしております。この養成課程では、裁判所職員総合研修所における約九か月の合同研修のほか、各地の家庭裁判所における約十四か月の実務修習におきまして、行動科学の最新の知見及び家庭裁判所調査官の実務上の専門的な知見や技法を習得をしております。
また、家庭裁判所調査官任官後におきましては、具体的な事件を担当することにより、社会で実際に生じている家庭や子をめぐる様々な事例につきまして経験を重ねていくほか、経験年数に応じた研修、家事事件や少年事件の喫緊の課題を検討するための研修、高度な知識や専門的技法を獲得するための研修等にも参加することになっております。
このような各種の研修やOJTなどを通じて、家庭裁判所調査官として必要な知見や能力の向上に努めているところでございます。
○真山勇一君 確かにそういう研修制度していらっしゃると思いますけれども、でも、やっぱり実際の審理とか調停のときに信じられないような判断が出てくるというのは、ふだんのやっぱり研修とか、あるいは、何というんですかね、仕事の中でやっぱり問題がどこかにあるんじゃないか。もちろん、全員が全員ということではないですけれども、やっぱりそういうことが出てくるのは、どこかやっぱり欠陥というか、おかしいところがあるんじゃないか。
それを、きちっとやっていますから大丈夫ですと言うだけで何の根拠もないということが、今までこの裁判所の定員法のこういう話の中では、やっぱりどうももやもやしてよく分からないところが続いております。是非これは改善を考えていただきたいというふうに思っております。
青木聡著 論文「面会交流の有無と自己肯定感/親和不全の関連について」
青木聡教授(大正大学心理社会学部臨床心理学科)の論文「面会交流の有無と自己肯定感/親和不全の関連について」を紹介したい。日本においても、研究結果が出ている以上、共同親権を法制化することが子どもの最善の利益に適っていることは明らかである。
一方で、いまだに、共同親権に反対する人たちが、何を考えているかもはっきりしている。子どものことではない。カネである。
- 別居親との定期的な面会交流によって、子どもたちの心理状態は良好になる。単独養育よりも、共同養育の方が子どもの適応度が高い。
共同養育の法制化に弾みをつけた非常に有名なウォーラースタインらの縦断的研究(親の離婚を経験した子どもたちを25年以上にわたって追跡した調査)によると、離婚後の生活によく適応し、心理状態がもっとも良好であったのは、別居親と定期的に面会交流を持ち続けた子どもたちであった。逆に、面会交流を実施しなかった場合、子どもは「自己肯定感の低下」、「基本的信頼感の低下(対人関係の問題)」、「社会的不適応」、「抑うつ」、「ドラッグ/アルコール依存症」、「離婚や片親疎外の世代間連鎖」等で苦しむことが報告されている。
バウズマンは、離婚後の共同養育と単独養育の比較研究について詳細なメタ分析を行い、「全般的な適応」、「情緒面の適応」、「行動面の適応」、「対人関係」、「家族関係」、「自己肯定感」、「学業成績」、「離婚に対する認識」といった複数の側面において、共同養育の方が単独養育よりも子どもの適応度が高いことを明らかにしている。
- 「養育プラン」の合意は子どもの健全な成長に欠かせない。
なぜ共同養育の方が子どもの適応度が高いのであろうか。アマトはメタ分析の結果に基づいて、「経済的安定(養育費の支払い)の程度」と「元夫婦の協力の程度」が、親の離婚を経験した子どもの適応度に決定的な影響を与える要因ではないかと考察している。この点において「養育プラン」の合意は子どもの健全な成長に欠かせないと考えられる。
- 離婚を経験した子どもでも、別居親との面会交流を続けている場合、両親のそろっている家族と大差ない。
別居親と面会交流をしていない子どもは、「自己肯定感」が低くなり、「親和不全」が高くなることがあきらかになった。一方、たとえ親の離婚を経験した子どもであっても、別居親と面会交流を続けている場合、両親のそろっている家族の子どもと比較して「自己肯定感」および「親和不全」の得点に差が出ないことも明らかになった。この結果は、離婚後ないし別居中の子育てにおける面会交流の重要性を明白に示している。今回、家族観や離婚観、子育てに関する文化の違いを越えて、欧米諸国の先行研究とまったく同様の結果が得られたことは、非常に重要な意味を持っている。前述のように、欧米諸国ではこうした実証的研究を地道に積み重ね、実証的根拠に基づいて共同養育の法制化に針路を定めた。日本でも同様の調査結果が得られた以上、国際的な常識に倣って子どもの福祉を中心に据え、離婚後の共同養育の法制化を早急に実現すべきではないだろうか。
棚瀬一代著「離婚で壊れる子どもたち―臨床心理家からの警告」
日本における「共同養育」を提唱する第一人者であった、故・棚瀬一代氏(神戸親和女子大学発達教育学部)の書籍「離婚で壊れるこどもたち」を紹介したい。欧米の単独監護から共同監護への歴史的経緯の他に、臨床心理士としての鋭い見解を述べている。
欧米では50年前に「共同監護法」が成立している。共同監護法成立の背景には、母性優先の単独監護時代に、共同監護を実践していたパイオニア的な存在がいた。私も、パイオニア的存在を目指して頑張ろうと決意している。
- 共同監護(共同養育)は、「子どもの精神的な健康にとって決定的に重要」であり、「子どもの最善の利益に適う」ものである。
(ワラスティンとケリーはその実証研究の中で)離婚後の子どもと別居親である父親との頻繁かつ継続的な接触の重要性、特に、別居親である父親と良い関係を継続することが、子どもの精神的な健康にとって決定的に重要であることを指摘した。それとともに、離婚後の監護形式というのは、「母親に単独監護権、そして父親に相当なる面会交流権」といった単一の形である必要はなく、離婚当事者の事情に応じて、柔軟かつ多様な取り決めがあってしかるべきだと主張した。
私が一九八四年に、カリフォルニアのバークレーで離婚後の実態調査をしていた時に出会ったマイク(五歳)(中略)は(中略)私に次のように話してくれた。「ボクには「二つのいえ』があるんだよ。『パパのいえ』と『ママのいえ』が。でもね、ボクは「一つのいえ』のほうがすきなんだ。いつもパパとママのりょうほうにあえるから......」
こんな子どもたちの思いに最大限近づくことこそが「子どもの最善の利益」に適うことであるとの思いが共同監護(養育)への法改正への動きの背後にはある。
この新しい法律(アメリカの共同監護法)の背後にある考え方は、離婚後も両親との頻繁かつ継続的な接触を可能なかぎり子どもに保証していくことが、子どもの最善の利益、つまり子どもの福祉に適うとするものであり、離婚後の子どもの養育に関する考え方が一八〇度の大転換を示したといえる。
- 同居親と別居親の双方で充実した交流をする。そして、重要事項は父母双方が一緒に決定する。
アメリカでは単独監護から共同監護の)法改正後に一番増えた離婚後の子どもとの関わり方は、日常的には母親が子どもの世話をし、父親とは平均して隔週末ごとに二泊三日の面会交流をし、子どもに何か教育や医療の問題で決断しなくてはいけないようなことが生じた場合には、両親が離婚後も一緒に決定していくという関わり方である。
相手を変える前に、自分が変わること〜裁判手続きの連絡書面に思うこと〜
古賀礼子弁護士が、本年6月に発刊された「離婚・再婚家族と子ども研究 第5号」の中で、次のように言及している。
「面会交流を開始させ、安定して継続させるためには、裁判手続の書面でありがちな強めの主張よりも、相手も同じ親として子を想う同志である、と尊重しつつ、わが子を大切に育てていることへの感謝と労いの表現を盛り込んだ連絡書面で交渉することが有用だとわかってきた。そうすることで相手方代理人との信頼関係を生み、協調関係の中で、面会交流を実現・拡充しうる。筆者は、こうした試行錯誤を重ねた自己流の交渉術が、いわばコミュニケーション術と重なっていると気付く。」
また、以前、ツイッターで、古賀礼子弁護士から、次のようなコメントをいただいたことも思い出した。
ここを発想を転換して、同居親も親、別居親も親として子どものことを考えている、同じ立場だと気づいたアプローチをしていくと、道が拓くことがある
— RK (@koga_r) 2022年11月8日
親同士対立してしまうのは、#単独親権制の罠 https://t.co/hjbA7n289L
自分の離婚事件を振り返りながら、本当にご指摘の通りだなと思った。私は、調停の当初から、弁護士を立てていたが、主張書面の原案はほぼ自分で書いていた。それこそ、裁判官から、「こんなに読めません」と嫌味を言われるくらい書いたこともあった。
相手方の虚実織り交ぜた、負の感情を煽る主張には本当に辟易するものばかりであった。そして、当事者の界隈では、私も、ご多分に漏れず、いわゆる、裁判官ガチャ、調停委員ガチャ、相手弁護士ガチャに直面して、とても悩み、苦しんできた。こんな状況で、適応障害が悪化せずに済んだことが不思議でならない。
その後、古賀礼子弁護士と山本麻紀コーチとの出会いがあり、いろいろなことを学ばせていただき、自分の中で何かが変わり始めたと思っている。
確かに、当事者として、とても辛い思いを抱えていると、当然のことではあるが、被害感情も強くなっていく。そのような状況下で、自分の感情をコントロールすることは容易ではない。一方で、自分以外の相手をどれだけ批判しても、批判の応酬が際限無く続くだけで、相手が態度を改めることもない。相手を変えようと思っている間は、事態はより深刻になるだけだ。もちろん、裁判官にしても、調停委員にしても、相手方弁護士にしても、あまりにも酷い態度であれば、断固たる措置を考えることも必要かもしれない。
しかし、相手をいくら変えよう、正そうと思っても、変わらないのが現実だ。本人が自覚しない限り、永久に変わることもないだろう。だからこそ、相手を変える前に、大変だけども、自分を変えることの方が、実は近道になるというわけだ。
私の場合、調停や裁判で明らかにならなかったことはたくさんある。今の調停や裁判では、回答しなくても、そのままスルーできてしまう現実がある。家庭裁判所に調整機能が無いこと自体が問題であり、不満の温床にもなっている。したがって、私自身も、配偶者のことをすべて信用している訳では無いが、唯一、信用できたことは「子どもにとっては大事な親である」ということだ。その現実を受け入れた時に、自然に感謝と労いの気持ちも出てきた。まだ離婚してまもないけども、本当に離婚したのかという関係になりつつあり、子育てパートナーとしての第一歩を踏み出したところである。
鬼子母神とは
連日、子どもの虐待ニュースが報道され、心が痛む。先日、大阪府大東市で、8歳の娘に食事を与えず、共済金や保険金を詐取した母親が逮捕された。
週刊女性PRIMEの記事の冒頭に、「鬼子母神」の話が出ていた。
安産・子育の神さまとして信仰されている鬼子母神。もともとは多くの我が子を養うために、他人の子どもを食べていた悪鬼だった(諸説あり)。だが、我が子を食い物にするという悪鬼よりも卑劣な鬼母が現実にいるとはーー。
「鬼子母神」とは一体なんだろうか?いろいろなサイトに説明書きがあったが、一番わかりやすかったのは、私たちに馴染み深い「まんが日本昔ばはし」のサイトだった。幼稚園から小学生にかけて、毎週、欠かさず見ていた記憶がよみがえってきた。「坊やよい子だねんねしな いまも昔もかわりなく~」という歌詞が印象的で一度聞いたら、忘れられない。
その「まんが日本昔ばなし」で、「鬼子母神さま」というタイトルで、漫画が放送されていた。それによると、以下の通りである。
ある日、その村に子供をさらうという鬼女(おにおんな)が現れるようになりました。子供のにぎやかな声でにぎわっていた村は、子供が一人もいないさびしい村になりました。困った村人たちは、お釈迦様がいる山にのぼり、子供たちを取り返してくれるようお願いしました。
さっそくお釈迦様は、鬼女の所へ様子を見に行きました。鬼女の住む穴には、鬼女の子供が一万人もいて、一人一人を大切にかわいがっていました。しかし穴の横には、村からさらってきた子供たちが投げ込まれていて、みんな泣いていました。その様子に怒ったお釈迦様は、鬼女の子供を一人、手のひらに乗せて連れて帰りました。
鬼女は自分の子供が一人いない事に気が付き、あたりを狂ったように探し回りました。どうしても自分の子供が見つからない鬼女は、悲観に暮れていました。そこへ、お釈迦様が現れ「お前は一万人もの子どもがいるのに、一人でもいなくなるとそんなに悲しいのか。それは人間の親たちも同じではないのか?」と諭しました。
涙を流して反省した鬼女は、さらってきた子供達を全員村に返しに行きました。その後、鬼女はお釈迦様の弟子になり、鬼子母神(きしぼじん)という安産と子どもを病気から守る神様となりました。
これは仏教説話なのだが、釈尊が生きていた時代にいた女性で、非常にたくさんの子ども(一説では500人)を産んだが、人の子どもを食べる悪鬼で、周囲の人々を悲しい思いにさせていた。釈尊に敵対した提婆達多(男性)の女性版とも言われている。
これを見て、改めて思うのは、日本における「実子誘拐」や「子に対する虐待」の根本には、「鬼子母神」に似た側面があるのではないだろうか。もちろん、現在は、女性だけでなく、男性にも、こうした側面は見られる。「鬼子母神」の説話に例えていえば、同居親が子どもを囲い込み、別居親が子どもと会えずに悲しみ、苦しい思いをする。それだけではない、自殺した方もいる。
最終的に、鬼子母神は釈尊に諭されて、反対に子どもを守護する神に変わったと言われているが、同居親も誰かに諭されて、自らの行いを反省する日が来るのかもしれない。しかし、現代は法治国家である以上、まず、「原則共同親権・共同監護」の法整備が必要である。別居親だけが苦しむ時代は、もう終わりにしよう。
離婚しても、親子関係が続くことが当たり前の世の中にしたいね!
「離婚しても、親子関係が続くことが当たり前の世の中にしたいね!」
私たち別居親にとっては、耳にタコができるくらい每日聞いている言葉でもあるが、これは、私が2年間通い続けた心療内科のカウセリングの先生から言われた言葉である。先生は私と同じくらいの世代の女性で、当然のことながら、私は先生のプライベートなことは一切知らない。しかし、話してて、結婚されているような、お子さんがいるような、感じはしていた。先日の連休は、お祭りに行ったようだ。
この2年間、調停や裁判で、家庭裁判所に通い続けた。高等裁判所にも1回だけ行った。
高等裁判所は、社会科見学のつもりで、興味本位に、あちこち見入ってしまった。建物からしても荘厳で、テレビで見る法廷そのもの(傍聴人はいないが)。合議制だから、裁判官も3人いた。女性裁判長は、優秀で感じの良い印象は受けた。拍子抜けしたのは、右陪席の法服を着た男性裁判官が、ワイシャツの第2ボタンまで開いていて、腕まくりまでして、見た目が「だらしないオジサンだなー」との印象を受けたが、実際、話してみたら、なかなか話が通じる裁判官だった。共同親権や共同養育という「最先端の知識はわからないんです」と謙虚に本音を話してくれたが、これから是非、勉強してもらいたい。
一方で、家庭裁判所は、正直、裁判官も調停委員も「最低」だった。これまでの人生の中で、パワハラ上司にイジメられたこともあったが、結論ありきで、面倒くさがりで、話を聞こうとしない人間に出会ったのは、初めてだった。家庭裁判所に行く前は、「裁判所は中立で公平な場所だから、話せばわかってくれる」と期待していたが、実態は真逆で、まさに「絶望の裁判所」そのものであった。家庭裁判所に行く日が近づいて来ると、緊張感が高まり、心身共に体調が悪くなる。目の下の隈もひどくなる。当日は吐き気がする。胃痙攣になったこともある。こんなにストレスを受けたことはなかった。職場や家族にはだいぶ心配もかけた。
このような、蟻地獄にハマって抜け出せない私の苦しみをいろいろ聞いて、励ましてくれたのが、臨床心理士の先生だった。カウセリングが始まったのは、2021年7月19日で、偶然にも、2023年7月19日の今日、カウセリングを卒業することができた。丸2年かかった。長かったが、カウセリングで話を聞いていただいたから、適応障害も悪化せずに、寛解することができたと感謝している。臨床心理士の先生も、「一時期はどうなるかと心配したけど、本当に良かった」、「夫婦関係を解消しても、親子関係が続くことは当たり前だよね!よく頑張った!」、「最悪の状況にあっても、子どもたちは立派に成長しているね」と声をかけてくれた。
今、自分の「第3の人生」(<第1>独身⇒<第2>家族⇒<第3>親子)をどうしていくか模索しているところ。「離婚」という選択をマイナスではなく、プラスにする生き方をしていきたい。2つは決まった。
- 自分のこれからの生き方で、共同親権・共同養育の必要性を訴えていく。
- 親子断絶を根絶するために、別居親と子どもたちを支援したい。
これから、新たな挑戦を始める。
宗像充・青木聡・蓮見岳夫著「子どもに会いたい親のためのハンドブック」
2013年に出版された、「子どもに会いたい親のためのハンドブック」を読んだ。編集者は、宗像充氏(共同親権運動の創始者)、青木聡氏(大正大学教授)、蓮見岳夫氏(心理カウンセラー)と共同親権運動ネットワークとある。今から10年前に出版された書籍だが、全く色褪せない、現在でも通用する内容で、どの章も非常に勉強になる内容であったので、お薦めしたい。
共同親権制の法制化を求めている方や、法制化までは間に合わないけども「共同養育」を決着点にしたい方には、第5章「養育プラン」や第6章「共同養育・面会交流の実際」を参考にされるといいだろう。後半の資料には、共同養育計画のひな形も掲載されている。
※ひな形はここにもある↓
今回、このブログでは、第4章「子どもと会うためにできること」を紹介したい。
1、生き残るー子どもと会うための再起・再構築
- 多くの「子どもに会えない親」からの相談で必要と感じることのひとつに、「生き残らなければならない」ということがあります。 大げさな話ではありません。ショックや失意から仕事はおろか日常生活すらままならなくなってしまう人がたくさんいます。体調を崩し起き上がれなくなってしまうことも珍しくありません。 衰弱して亡くなる方や辛さのあまり自殺してしまう場合もあります。それに至らずとも、職を失い、財産を失い(離婚するときに財産分与などで貯金や不動産を処分することが多い)、廃人のようになってしまう場合もあります。
- 子どもと会えるこれからのために、私たちは死ぬわけにはいきません。死んでしまっては現世で子どもには会えませんからね。そして会った時にはできるだけ良いコンディションで「親子」でいられるようにしましょう。 それが、また次の「会えるとき」、その間の「子どもへの関わり」へとつながるのです。会えるためには、まず「生き残らなければならない」のです。
2、子どもと会うための基礎をつくる、効果的な心得と取り組み
①「子どもと会うためにできることをする」という気持ちをはっきりさせる
(1)不本意でも理不尽でも、「今は〜な状態である」と現状を受け止めてみる
(2)ストイックに我慢することではなく、これからのために自分を変えていく
(3)あたらしい知識、経験、対人関係、展望を持つようにする
(4)「子どもに会うまでの間」「子どもに会う時」を考える
②ストレスがあることを認めて対処する
(1)メンタル面
(2)フィジカル面
③経済的に安定する
- お金が人生や世の中のすべてではありませんが、経済的な余裕は「選択肢の拡大」につながります。極端な例えですが、「お金があれば何とかなる」ということも多いのです。すくなくとも「子どもに安定的に会える状態を作る(=生活を安定させて、自分を充実させる)」ためには、何らかの方法での経済的安定は必要です。
3、交渉と折り合いー相手との関係をどうしていくか
①勝つことが目的ではない
- 相手を打ち負かすことが目的ではないということを繰り返し認識することが必
要です。相手に脅威を感じれば、より大きな力でそれに対抗しようとしがちですが、それでは終わらないばかりか、憎悪が増すばかりです。相手はそのことで子どもとあなたを引き離せますが、あなたは子どもと会えるようになるとは限りません。裁判で勝っても子どもと会えなければ同じです。
②相手は他人
③一人で何とかしようと思わない
4、子どもに気持ちを伝えるには
①記録をとる
②手紙を出す
5、自分の気持ちをどう整理していくか
- 子どもに会いたいという感情を批判されることも少なくありませんが、一人で子どもをなしたのではない以上、子どものことを考えるということは、相手の立場も認めるという作業でもあります。何ができるかということは、人によって違います。できることはできる、できないことはできないとはっきりさせて、離れて暮らす親としての子育てのペースをつかみましょう。会えなくても子どものそばに引っ越すというのも一つの方法です。
- 相手の感情に振り回されることが多かったなら、それへの対処の仕方をこちらが身につけるしかありません。 相手は直接変えられないかもしれませんが、相手との関係性や自分の置かれた環境を変えることはできるのです。疲れきっていたり、一人では収拾がつかないと思ったら、人の助けを得ることも、自分自身の人としての幅を広げる手段として肯定的にとらえてもいいのです。 自分に余力があるとき、同じような立場に陥った人に自分がした経験を伝えることで、借りは返すことはできます。環境を変えて休むことも時には必要です。 そうしていくことで、展望を持って計画的に行動することも可能になってきます
親子断絶に負けない!子どもはいくつになっても親に会いたいと思っている②
怒涛の6月もまもなく終わろうとしている。まだ梅雨明けになっていないが、暑いし、蒸しているし、今年の夏はどうなってしまうのだろうか。
さて、第二弾にしながら、最終回。今回は、私の亡き伯母を紹介したい。母の姉にあたり、夫婦に子どもがいないこともあって、私たち兄弟を自分の子どものように本当に大切にしてくれた伯母は、2015年10月に71歳で癌のため他界した。末期癌で、治療の施しようもなく、自宅療養を続けていた。最後に会った日を、今でも覚えている。結婚の報告をすると、痛みを堪えながら、「(私の名前)、あなた、幸せになりなさいよ」と言ってくれた。体調が悪く、結婚式には来られなかった。いま、私のこの状況を知ったら、どのように思うだろうかとふと思う時がある。しかし、いまの私には、助けてくれる方々がたくさんいる。結婚することが幸福で、離婚することが不幸ではないということも知った。不運な状況に置かれても、それに負けないことが、本当に幸福なことだと。
話は戻るが、伯母は、昭和19年に青森県で生まれた。実父は地元で校長先生をし、5人姉妹で裕福な家庭であった。しかし、戦争によって、子どもたちを育てられない状況に陥り、終戦によって戦地から引き揚げてきた私の祖父と出会い、「なんとか子どもを育ててもらえないか」と頼まれ、明治生まれで義理・人情に厚い祖父は快諾し、伯母を引き取った。そして、祖父は、1人目の妻も2人目の妻も病気で亡くし、3人目に出会った妻が、私の祖母にあたる。そのもとに、私の叔父、母が誕生する。伯母を加えて、5人家族で生活をしていた。
その後、1ヵ月に1回は、青森県から、伯母の実父母が、「祖父の知人」という体で、祖父母の自宅を訪れて、談笑していたという。祖母いわく、「祖父の偉いところは、心が広かったことだ」という。いま、私が考えてみても、なかなかできることではないと感じている。しかし、伯母がいざ入籍するという時に、戸籍を見て「養子」となっていたことで、これまでの経緯が発覚した。伯母は、祖母が本当のお母さんでないことはわかっていたが、祖父まで本当のお父さんではなかったことに非常にショックを受けたようだ。
そして、本当の実父母は、毎月自宅に来ていた「祖父の知人」であったこと。入籍時点で、実父母が他界していたこと。いろいろ重なった。それでも、本当の姉妹とつながることができて、亡くなるまで交流は続いていたようだが、伯母は、実父母に、本当の両親であると認識して会いたかったと、ずっと話していたという。
現在、社会問題になっている「親子断絶」と比較したら、まだ父の実母にしても、伯母の両親にしても恵まれていた方だと思う。父方の祖母も、母方の祖父母も、心が広かったと思う。様々な時代状況の中でできることは精一杯やったのだと思う。ただ一点、本当の親に会いたかったとの子どもの願いは、実現できなかった。
現在、単独親権を違憲とする国賠訴訟が、様々な観点から提起されている。共同養育議員連盟の国会議員も、共同親権制の導入に向けて、奔走していただいている。現実は、すぐには変わらないけども、親として、子どもと会うことを諦めないでほしい。子どもたちは親に会うことを待っているし、子どもにとって父親・母親と呼べる人は、世界にたった一人しかいない。私の父や伯母の事例を見ても、どれだけ不自由ない環境で生活できたとしても、実の両親の存在を知らないまま育つことほど、子どもにとって辛いことはない。親子断絶に負けない!!
DV防止法を学ぶ~成り立ち~
DV防止法により、親子断絶になり、悩み・苦しむ友人がいる。現在、「虚偽DV」という言葉があるように、配偶者からDVをでっち上げられて、離婚を要求されるケースも増加していると聞いている。改めて、DV防止法がどのような法律か、学んでみた。
初回は、DV防止法の「成り立ち」について。2016年9月11日に開催された国際ジェンダー学会で、民主党政権時代に厚生労働大臣を務めた小宮山洋子氏が講演している。
↓シンポジウムの講演内容
http://www.isgsjapan.org/journal/files/15_komiyama_yoko.pdf
参議院「共生社会調査会」に,超党派のDV防止法を作るためのPTを作る参議院の調査会の中に共生社会調査会が98年にできた。その共生社会調査会の中で,何をやるか話し合い,最初は男性議員が自然との共生やいろいろ案を出していたが,ちょうど女性に対する暴力の問題が,国際的な人権会議などいろいろな場で問題になっており,日本もお金を出して女性に対する暴力のための基金をつくったり,国際的な流れがあったというのが女性に対する暴力に取り組むひとつの契機となった。当時,まだ内閣府ではなく総理府が調査をしたところ,20 人に1人が命に関わる暴力を家庭の中で受けていることが明らかになった。それは,「そんな家の中のことを国会の場など公のところでしゃべるのはとんでもない」という様なことを言っていた男性議員たちに大きな衝撃を与えた。女性に対する暴力の問題をやろうということに決まった。議員立法がうまくいくには,各党にキーパーソンが居ることが重要になる。その党を引っ張っていき,超党派のところで決めたら,党の中で手続きを通して成立させられるような力を持った人が居なければならない。恵まれていたのは,座長が自民党の南野知恵子さんで,副座長が当時野党第一党だった民主党の私で,それから弁護士でもあった大森礼子さんが公明党,共産党が林紀子さん,社民党が福島瑞穂さん,それから当時は無所属でいらした堂本暁子さんであったこと。このメンバーでDV防止法が成立した年,2001年の10月に『詳解DV防止法』5)が出版されている。堂本さんは先輩だが,福島さんはじめ自分で言うのもなんだが私も含めて,ちょうど市民派と言われる人が98年の選挙で当選した。そのメンバーが共生社会調査会にいたということも,DV防止法ができるきっかけになった。その6人がメインになって,プロジェクトチームを作り3年間かけて,一から作った。
- 定義や適用範囲、配偶者暴力相談支援センターの設置、民間シェルターへの援助など、いろいろ議論した。
どんなことを話し合ったかというと,定義や適用範囲にしても,暴力の範囲はいわゆる精神的暴力や性暴力を含めるのかどうかということや,配偶者の範囲で,事実婚,元配偶者,恋人を含めるかどうかなどについて話し合いを重ねた。被害者の保護のための具体的な施策として,配偶者暴力相談支援センター(以下,「DVセンター」と記す)をとにかく作ろうということだったけれど,相談や緊急に一時保護したり,カウンセリングをしたり,自立支援をしたり,いろいろなことをするセンターを作るのに,本当は新たな施設を作れば,売防法から脱することができたかもしれない。しかし,現実問題として3年間の間に作りあげなければならないということがあり,そのときに,新たな施設ではなくて,今ある婦人相談所などの既存施設の活用,婦人保護の施設を使うということになった。現行の婦人保護事業,婦人相談員の位置付けをどうするかということも話したが,そこから脱することができなかったということが今日の問題につながっている部分だ。また,今もまだまだ足りない,民間シェルターへの援助の話もした。
- 保護命令創設にかかる議論。罰則付きの接近禁止の保護命令制度を作った。
現在,保護命令もたくさん年間で出ている。けれども保護命令をちゃんと加害者に罰則を加えるかたちで接近禁止などを作れるかどうかが,とても大きなテーマとしてあった。理由は,関係省庁の人たちの「日本の法制というのは刑事と民事が非常に明確に分かれていて,そんな民事のところに罰則を付けるようなことはできない」というところから始まったからだ。そこがなかなか大変なところだった。ただ罰則を付けないと,それは実効性に大きな問題があり,ここは相当議論した。結果的に罰則付きの接近禁止の保護命令制度ができた。
- 被害者支援のみで、加害者支援いわゆる「加害者更生プログラム」まで仕組みを作ることができなかった。制定から22年経つが、まだできていない。内閣府で議論中??
私がやり残している,残された課題だと思っているのが,加害者更生プログラムだ。被害者の支援は必要だが,それだけではなく加害者のほうを何とかしないとまた同じことが繰り返される。ただこれは,配偶者からの暴力防止法というDV 防止と,私も関わってきた児童の虐待防止,それから高齢者虐待防止。今虐待防止についてバラバラに3 つの法律があるわけだが,加害者更生プログラムは,そこを共同でひとつの仕組みがつくれないかということをずっと言い続けてきたが,なかなかそこがうまくいっていないということがある。
加害者更生プログラムを担う専門職が日本ではあまりにも少なすぎる。DV 防止法を
3 年間で作らなければという中で,そこはちょっと置いといてとなったのが,もう15 年も経ってまだそのままなのである。
- DV被害者は男性もいることから「配偶者からの暴力防止法」との名前にした。
最初は女性に対する暴力防止と言っていて,プロジェクトチームの名前もそうだったのだが,特にアメリカなどではフライパンで夫を殴り殺した妻もいるとかいろいろ話が出てきて,女性から男性が暴力を受けた場合も対象だろうということで,「配偶者からの暴力防止法」という名前にし,法律が2001 年に成立した。
- DV防止法の内容は不十分で3年後の見直し規定を付けた。しかし、第2次改正の2007年に見直し規定がなくなってしまった。
DV 防止法成立時はまだまだ足りないところがあるのはわかっていたので,3年後の見直し規定を付けた。2001 年に作り,その3 年後の2004 年の第1 次改正で,定義が拡大されたり,保護命令の対象が拡大されたりという改正が行われた。そしてさらにその3 年後の2007 年の第2 次改正で保護命令の拡充を行なった,市町村の基本計画の策定,それからDV センターに関する改正などの改正が行われた。ただ,この第2 次改正のとき,残念なことに,それまで入っていた3 年後の見直し規定がなくなってしまった。そういう枠を作っておかないと,議員たちも忙しいので,優先順位がどうしても下がってしまう。見直し規定がちゃんと作れなかったということもあって,第3 次改正は2007 年から6 年経った2013 年になった。
児童虐待防止についても,DV 防止法を参議院で作ったころ,同じころに衆議院の青少年問題特別委員会で児童虐待防止法が,議員立法で成立した。(中略)衆議院に変わってからは,今度は児童虐待防止法の見直しを2 回中心になって行った。(中略)今の世田谷区長をしている保坂展人さんや,この間まで文部科学大臣をしていた馳浩さんやそういう人たちと超党派で一緒に児童虐待防止法の見直しをした。支援をしている方たちから一番ずっと要望が強かったのは,日本はとにかく親権,親の権利が強すぎて,子どもの権利条約に批准したのに子どもの権利を守る基本的な法律がない国である。だから,児童福祉法も,子どもを保護の対象としか見ていないのを,これはNHK の解説委員をしていたころ,児童福祉審議会等で権利をちゃんと盛り込みましょうという議論があったのだが,結局それは実現できていないということがあった。そうした中で親権の一時停止や一部停止をしてほしいというのが関係者からの一番大きな要望だった。ただ,それについては法制審議会と法務省がなかなか動かなくて,児童虐待防止法改正のときに,附則のところにちゃんとそれを進めるようにと書いても書いても駄目だった。私が厚生労働大臣をしていたときに,親権の一時停止を実現するための児童福祉法の改正を民法改正と併せて行う法務委員会と厚生労働委員会の合同審査があり私が答弁者として関わるというような巡り合わせになった。それで一時停止ができるようにようやくなった。
- 都道府県・市区町村の職員は法制定や法改正の意義をしっかり理解していない。
私は「第3 の人生は心豊かに生きたい。争いはあまりしたくない」と思っていたが,1 回だけ,副知事室で,児童相談所の所長や児童虐待の担当の県の職員の前で机をたたいて怒った。というのは,私たちが一生懸命子どもたちのために法改正をしたのに,現場はそれを理解してないというか,意識をしようとすらしない。自分たちが今までやってきたことしかやらないという感じだったので,それは違うでしょうと強く思ったからだ。虐待をした親というのは,さっき申しあげたように,こちらも更生プログラムがきちんとできていない。これも児童虐待防止法改正できちんと入れたかったのだが,ソ
ーシャルワーカーなどの専門職の数がドイツなどに比べてほんとうに少ない。それで実現しなかった。虐待した親に返す,家族の再統合は,それは大事かもしれないけれど,再統合したら子どもがまた虐待される場合もあるのに,とにかく再統合ありきで,親のほうを向いて行政は仕事をしているということがある。法改正プラス地域で地道に活動をしないといけないと思った。
親子断絶に負けない!子どもはいくつになっても親に会いたいと思っている①
私は、6ヵ月間だが、親子断絶の経験をしてきた。その後、月1回2時間⇒5時間へ拡充して、親子交流を続けている。それでも、月1回5時間は少ない。だから、もっと親子交流は増やしてほしいと思って、協議を続けている。
タイトルにある通り、子どもはいくつになっても親に会いたいと思っていることを、身近な体験(私の親族)を紹介したい。
1人目は、私の父(70歳)です。父は1歳の時に、両親が離婚。戦後まもない時期だったので、父親の親権者割合が多い時代であったので、実母は家を出ていき、実父とその両親と暮らすことになった。その後、私の祖母にあたる継母が来て、弟もできて、何不自由ない生活を送ってきた。地元では裕福な家庭であった。
しかし、父は思春期の頃、ふとしたことがきっかげで、自分が「養子」であることを知った。それ以来、両親に心を閉ざしてしまった。実母とは、一度も会っておらず、顔も名前も全くわからなかった。結局、実母が亡くなるまで、一度も会うこともなく、誰も実母のことを教えてくれなかったようだ。実母のことを初めて知ったのは、父が45歳の時(私が高校1年生の時)、実母が亡くなったことで遺産相続の話が突然入ってきた。実母は、再婚していたが、家族に黙って、父のために遺産を残してくれていた。
私の祖母(父の継母)いわく、祖母が実母と連携をとり、学校の授業参観や運動会には実母も顔を出していたとの話であった。実母にとっては、離婚後も子どもの成長を遠くからでも見守ることができ、良かったかもしれない。しかし、何不自由なく、継母の親戚からもとても大事にしてもらいながら育った父も、自分のアイデンティティーがわからないことに、とても悲しみと怒りと寂しさを感じていたようだ。
父が実母のことを初めて知った時に、親戚に「なぜ、実母のことを教えてくれなかったのか?」と、電話しながら、泣きそうな声で何度も話していた場面を、私は今でも鮮明に覚えている。実母のことを教えてもらえなかったことは、父にとって本当に可哀想だと、高校生ながらに感じた。
今回、当事者になってみると、子どもに会えない親の気持ち、苦しさも痛いほど実感した。それと同じくらい、子どもも苦しさを抱えているし、別居しているパパやママに会いたいと思っている。だから、今、親子断絶状態にある方も、絶対に、子どもと会うことを諦めないでほしい。
私の父は、30年以上、実母に会いたいと思って生きてきたが、その気持ちを封印してしまった。それ故か、いろいろあって、自分の家族に多大な迷惑をかけてしまったこともあったが、父の姿を見て、何歳になっても、子どもは本当の親に会いたいんだなと思った。
私の子どもはまだ小さいが、第一次反抗期(同居中)の時には、ちょっと叱ると、「もう、パパなんて嫌い」と何度も言われた。しかし、「どうしたの~?」とか、本当に大事な時は「あっちの部屋でパパと二人でお話しよう」っていうと、子どもは「本当はパパと一緒に遊びたかった」と言われた。
子どもも年齢によっては「親に会いたくない」と言ってくる時期もあると聞く。でも、「会いたくない」という言葉は、実は、愛情の裏返しでもあったりして、うまく表現できないから、恥ずかしいから、「会いたくない」と言うこともある。いったんは距離を置かなければならない時もあるかもしれない。しかし、どんなことがあっても、子どもと会うことを諦めないでほしい。私も引き続き頑張ります。そして、親子断絶には負けない。