miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

家庭裁判所こそ、「裁判員制度」の導入を!

 本日は、少し実体験も交えて、主張したいと考えている。

 

 日本では、2004年に「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(通称:裁判員法)」が国会で成立し、2009年より施行された。現在、刑事裁判において「裁判員裁判」という制度は定着し、一定の成果が出ている。

 

 この裁判員法が施行された目的は、「国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映する」ことで、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図る」とある。つまり、裁判官の判断が、世間の常識からかけ離れたものであり、そのことで、国民の信頼を失墜していたという背景があったのだ。

 

 これは、刑事事件に限らず、民事事件や家事事件においても、同様である。裁判所を利用したことがある方は、誰もが、裁判所には“正義がない”と感じているだろう。私もその一人である。なぜならば、裁判官に、事実を訴えても、はじめから「結論ありき」で、当事者の話は「聞いているフリ」で、何も聞いていない、聞くつもりもないというのが現実だ。

 

 私自身、現在、離婚事件において、妻から一方的な調停・裁判を起こされ、現在も係争中である。夫婦の事件を担当する女性裁判官は、初めて会った時、「困ったことがあったら、何でも言ってください。そのために、時間をとりますよ」と私に言ってきた。私も緊張していたせいか、裁判官も人情味があると思い、安堵の思いになった。だが、現実は、そうではなかった。

 

 裁判において、裁判官は「私に対する法定事由がない」ことを認めながらも、ずっと和解離婚を迫って来た。妻の主張は、事実と異なる主張ばかりで、私の言動を切り貼りし、記憶の錯誤が目立つ主張ばかりである。それに対して、「事実経過」を詳細に書面にまとめて、「請求棄却」を何度も主張してきた。それは、法定事由がないし、理由がないのだから、当事者として至極、当然のことである。

 

 しかし、裁判官には、それが通じないのだ。ある時、裁判開廷と共に入場した裁判官は、始めから不機嫌であった。理由はわからない。そして、裁判官の言動も始めから喧嘩腰であった。話の中で、私が裁判官の発言に疑問を持ち、「裁判所は窃盗を容認するのか」と疑問を呈したところ、裁判官から、「裁判所にそんなことを聞くんじゃない。」とヒステリックに逆上された。これまでの私に対する態度を、180度を豹変させて、怒鳴りちらしてきたのである。

 さらに、子供の親権についての考えを問われたので、書面にて主張したが、裁判官は、理由もなく、「母親」と言った。私は「妻の実家が子供を育てられる環境ではない。裁判官も人の親ですよね?こんな環境で子供がまともに育つと思いますか?」と疑問を呈したところ、さらに逆上した。

 これらのことから、裁判官という人間は、「なぜ、私の言うことを聞かないのか」と、はじめから結論ありきで、自分の思惑通りに物事を進めたいという、非常に我儘で、傲慢な心を感じた。この時、裁判所には正義はないと確信した。

 

 私は、調停や裁判を経験する前、「裁判所というところは、人を公平に、公正に裁くところで、社会正義を実現する場である」と、漠然と思っていたが、それは、もろくも崩れ去った。非常に残念であり、無念に思った。

 

 私はこのような衝撃的な経験をした。これまでに、家事事件において殺傷事件が多いと聞く。これを肯定するつもりは全くない。ただし、こういった事件を引き起こす理由の1つには、「裁判官の姿勢」に問題があると考えざるを得ない。  

 

 したがって、家事事件や民事事件においても、裁判員制度を導入すべきである。SNSでも、私と同様に、裁判官に酷い扱いを受けた方を何人も見て来た。裁判官も己の考えが、いかに世間の常識とかけ離れたものであるのか認識し、考えを検証すべきである。そうでなければ、本当に苦しんでいる方が報われる時代は来ない。裁判所が国民から信頼を取り戻すことは、永遠にできないであろう。

 

 誰もが幸福な世の中になるために。