miwasan0216’s blog

愛する子供たちのために、理不尽さと闘う父。誰もが幸福な世の中になるために。

【第183回国会】衆議院法務委員会 第9号 平成25年4月19日

衆議院法務委員会

共同親権」を取り上げた国会会議録を読んでみました。


登場人物:郡和子 衆議院議員民主党

     長谷川京子 弁護士/日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会副委員長

     椎名毅 衆議院議員みんなの党

     高橋宏志 中央大学大学院法務研究科教授

     棚瀬孝雄 中央大学大学院法務研究科教授

 

○郡委員 また、ハーグ条約締結を契機に、共同親権のもとでの子連れ別居は、残された親の親権、監護権を侵害するものであって、これは違法とすべきであるというような主張も出てきているわけでございます。それからまた、一方では、子供の生活環境が変化をしていくということに兼ね合わせて、これも違法というふうにすべきではないかという主張もされる方がいらっしゃるわけですけれども、この点については長谷川参考人はどのような御見解でしょうか。


○長谷川参考人 まず、親の親権とか監護権というものは、親が子供を支配する権利とか権力ではなくて、子供の生存と発達のニーズに応える責任というべきものであります。したがって、子供の移動の適否を親の権利侵害というフィルターを通して評価することには疑問があります。
 子供の移動の適否というのは子供自身の観点に立って行うべきであります。例えば、移動前の子供の生活状況、とりわけ誰からどのようなケアを受けてきたのか、どういう事情で移動することになったのか、移動後、子供の生活状況はどうなのか、ケアの状況はどうなっているのか、そういったことを個別具体的に検討して、どちらの親が子供と生活をするのが子供の福祉にかなうのかということを比べて決めればよいことだというふうに思います。
 現に、現在の家裁実務もそのように運用されていると思います。父母が別居する際に一方が子供を連れて家を出る、いわゆる子連れ別居というのは、それ自体が他方の監護権を侵害するというふうには考えられていません。
 子供にはそもそも、切れ間なく、なれ親しんだ監護を受ける権利があると言わなければいけません。だから、監護というのはそういう子供のニーズに応えていく親の責任であって、新たな環境が子供の成長、発達の利益を損なうのか、それに適するのか、子供中心の観点から評価するべきものだと考えられているというふうに思います。
 どうもありがとうございました。


○郡委員 ありがとうございます。
 民法の改正がありまして、協議離婚の際に、面会交流やそれから養護費の分担に関して取り決めをするということが明文化されたわけでございまして、離婚届の中にそれを記載する欄も設けられるようになりました。一定の成果、効果というのも上がっているのであろうというふうにも思うわけですけれども、共同親権の行使それから積極的面会交流というのは、ある意味では条件が整っていないとなかなかできないことであろうというふうに思います。
 それぞれが円満に離婚できた場合には、そういうことが可能なのかもしれませんけれども、そうでない場合というのを想像いたしますとなかなか難しいわけでして、特に、DVからの救済システムがいまだ十分に整っていない日本においては、このことによって現場に妻がとどまらざるを得ないような状況もまた生まれてくるのではないかなと私自身も心配をしているところがございます。
 ところで、ハーグ条約の締結国は、御承知のように、ほとんどが離婚後も両親が子供の親権を持つ共同親権をとっている国でございます。法制審や外務省によりますと、ハーグ条約批准に関するパブリックコメントの中では、特に、この締結に当たって、日本でも離婚後の共同親権、共同監護制度を導入すべきであるという意見が寄せられていたというふうに承知をしておりますけれども、離婚後の共同監護法制につきまして、監護権をめぐる紛争解決の有効性、そしてまた子供の生存、発育といった福祉の観点から、どのように評価されているのか。実際に現場で裁判等を担当されてこられた長谷川参考人に伺いたいと思います。


○長谷川参考人 ありがとうございます。
 私は、現場で事件を扱っております。ですから、そこの感想から申し上げますと、離婚後も父母が協調して子供の監護にかかわることが望ましい、理念としてはそうだと言えるとしても、そういう望ましい家族の理念というものと現実の紛争家族の実態とは大きく乖離しております。離婚後の監護を裁判所で法律に基づいて決着していかなければいけないのは、その紛争家族の方なのです。
 紛争家族に望ましい家族のモデルを当てはめて、そのもとで協力と協調をしなさいということを幾ら求めても、結果的には、さらに紛争をこじらせて、際限のない父母の争い、不和に子供を巻き込んでいってしまうという不幸があります。それはやはり子供の福祉を害するというふうに思います。
 そういうことで、ちょっと私も関心を持って諸外国の共同監護制について一部調べているんですけれども、例えば、子供の利益を重視したスウェーデンでは、一九九八年に裁判所による離婚後共同監護命令というのを制度化しています。しかしながら、父母が協力できない事案では子供の福祉を害するということがわかったので、二〇〇六年にそれを改め、父母が協力できない事案ではそういう命令は出せないというふうに改正しております。
 ニューヨークアメリカで共同監護制をとっているところでありますけれども、そこも、双方の親が協力できる場合にはそういう命令を出す、あるいは双方が同意している場合には共同監護ということにするけれども、そうでない、うまくいかない場合には共同監護は命じないということが現役の裁判官の報告論文などで知られています。
 それから、英米法系の中で最も先進的だとされているのがオーストラリアという国なんですが、そこでは、二〇〇六年の改正で、とても監護紛争がふえるので、それを決着させるために、双方の親に子の監護にかかわる共同の責任があることを前提として、子供と過ごす時間を均等分配するというような法改正が行われました。親が、他方の親に対して友好的である方が、子供が他方の親との関係を維持できるだろうということで、友好的な親ルールというようなものも導入されたり、それから、虚偽のDV、虐待の主張をした者には制裁を与えるというようなことも盛り込まれていました。
 ところが、その結果、ふたをあけてみると、実際には、DVや虐待がある事案においてその主張ができなくなったり、安全面の懸念や暴力、それから、父母の高葛藤事案というもののもとでは、子供の福祉に重大な悪影響が出たり、それから幼い子供の発達上のニーズに有害な影響が懸念されるということが報告されました。これは、公的な調査の結果、報告されています。さらには、そういう当事者間でもともとだったら合意が形成されていたような事案にも紛争が拡大して、子供の監護をめぐる紛争がより激しくなってしまったということがあります。
 こういう二〇〇六年法改正の影響が見過ごせないということで、オーストラリアでは二〇一一年にさらなる改正が行われました。そこで採用されたのは、DVや虐待の定義を拡大しながら、別居親との交流よりも、子供の安全を最優先事項とするという方針です。また、その際には、友好的な親条項は削除されましたし、DV、虐待が証明できなかったときの制裁条項も削除されています。
 こういうようなオーストラリアの苦い経験は、例えばイングランドでも受けとめられて公的な検討が行われ、その結果、子供の養育に関して父母双方が相当の、または均等な養育時間を請求する当然の権利を有すると認識させるような規定、または、そう認識させるリスクのある規定を置くことに反対するという公式の最終結論が示されております。
 日本での……

○石田委員長 参考人、時間が参っておりますので、簡潔にお願いいたします。

○長谷川参考人 はい、申しわけありません。では、もう終わります。
 日本での印象とは別に、やはり、そういう欧米諸国で、必ずしも、共同監護制を導入したから紛争を決着することができなかったということを学びながら、日本として、そういう紛争家庭で育つ子供の福祉をどう守っていくかということをしっかり議論していく必要があると思います。
 どうもありがとうございました。

長谷川氏は、現在も、共同親権反対論者だが、「子どもの視点に立つ」という観点では、共同親権の根本精神は同じのような気がする。しかし、親権争いを前提に考えているから、反対に傾くのではないか。

 

○椎名委員 ありがとうございます。
 そうしますと、まず審議会の審議の経過なんですけれども、ハーグ条約は、基本的には、子の返還に関する手続を定める手続法だという理解をしておりますけれども、そういった中で、要するに何を申し上げたいかというと、国内の実体家族法については基本的には中立的な価値観を持っている、そういうふうに説明をされておりますが、事実を調べますと、基本的に加盟八十九カ国のうちの十四カ国のみが離婚後の単独親権主義、その十四カ国のうちの十二カ国がカトリックそれからイスラムなどで、基本的には離婚率の非常に低いような国々だったと思います。
 要するに、何が申し上げたいかというと、この審議の過程の中で、単独親権主義の国々がこの条約を締結した後どういった運用をなされているかといったことについて、どの程度調査をされていらっしゃったのかということを、同じく高橋参考人に伺えればと思います。

○高橋参考人 委員御指摘のとおり、私どもは手続を扱いましたので、単独親権制度であっても、あるいは共同親権制度であっても対応できるような手続をつくりました。そして、単独親権か共同親権かは法制審議会で申しますと民法関係の部会で扱うことになりますので、そういう意味で本格的に議論はしておりません。
 しかしながら、我々も、いろいろな参考意見を、意見自身をお聞きしたこともございますし、学者の研究を全員に配付して勉強したこともございます。今ちょっと資料がなくて申しわけないんですが、九州大学のある有名な先生のものを特によく勉強させていただきました。
 しかしながら、この手続法に関しましては、共同親権か単独親権かは重要な論点にもともとならないものであったということでございます。
 以上でございます。

○椎名委員 ありがとうございます。
 たてつけ上、価値中立的だというのはまさにそのとおりだと思いますけれども、今こちらにいらっしゃっていただいております渡辺参考人が御指摘されているところなんかはまさにそういったところだと思っておりまして、事実上、日本の家裁の実務を前提とした場合には、子供の連れ去りみたいなものが肯定化される、継続性の原則みたいな運用が肯定化されていくというような懸念を示していただいているんだと思います。
 そういった観点から、私自身、たてつけ上、価値中立的ではあったとしても、実際のところとしてどのように運用されているかというところに比較的問題意識を持っているところでございますが、今伺ったところですと、基本的に単独親権主義でどのような運用がなされているかというところは余り調査をされていないように見受けました。
 では、棚瀬先生にお伺いできればというふうに思います。
 子どもの権利条約、恐らく九条だったと思いますけれども、親子の不分離というような規定があるかと思います。私自身、この親子の不分離という規定そのものが、ハーグ条約の背景にある子の最善の福祉というものを価値づけているものなのではないかなというふうに思っておりますが、もう一回、子の最善の利益ということの意味について教えていただければというふうに思います。

○棚瀬参考人 おっしゃるとおりです。国連児童権利条約九条三項というのが一番根拠規定になるわけですが、そこでは、別れて暮らす子供も、双方の親と定期的かつ直接の接触を持つというその子供の権利を締約国は保障する、そういう規定の仕方をしています。その意味では、実際に別れて暮らす親がいて、そして子供がその親と会えないような状態を国が半ば放置していれば、この国連児童権利条約九条三項に違反するというふうになると思います。
 では、なぜ子供がそうした両方の親と会うことが必要なのかということについては、先ほど心理学の研究で参照しましたように、やはり子供には両方の親が必要なんだというその一言に尽きるのではないかと思います。

○椎名委員 どうもありがとうございます。
 子の最善の福祉を重視するからこそ、この法律のたてつけ上も二十七条で、条件が充足されたら原則として返還をする、そういうたてつけになっているんだというふうに思っています。
 しかし、二十八条というところで子の返還拒否事由というものがいろいろ記載されているところ、ここについて少し問題があるのではないかと私自身は思っています。この二十八条一項というところに返還拒否事由が多数記載されていることによって、これで事実上、子の連れ去りの可否という観点において実体判断をしてしまう結果にならないかというふうに思っています。
 すなわち、何かというと、結局のところ、子の最善の福祉からその返還をすることが原則であると言っているにもかかわらず、返還をするかしないかについて完全に実体的な判断をする、その結果として、先ほど棚瀬先生がおっしゃっていたような、常居所地国の相手方の裁判、家事手続を信頼する、そういったたてつけになっていないのではないかということを私自身は懸念しておりますが、棚瀬先生の御意見を伺えればというふうに思っております。

○棚瀬参考人 御案内だと思いますが、実は、外国では、一部、もう本当に、日本はハーグ条約を批准しても本気で守る気はないのではないかという議論があります。そして、下院議員の、特にアメリカのスミス議員等を中心として、日本国を名指しで制裁しようというような法案も繰り返し出されているところであります。
 最近、私が見たアメリカの判例の中には、逆に、こんなのがありました。つまり、私たち日本から見れば、アメリカの常居所地法を信頼する、あるいはイギリスの常居所地法を信頼するわけですが、信頼して、子供を帰して、そこの裁判で判断してもらう。ところが、それについて今問題があるわけですが、逆に、ではアメリカはどうなのかというと、アメリカのワシントン州判例なんですが、ごく最近の判例なんですが、堂々とこんなことを言っていました。
 それは、ワシントン州は、国際礼譲、インターナショナルコミティーというんですが、ハーグ条約と同じ精神ですが、それを尊重する、しかし、親と子供が分離されてはならないというその子供の基本的な権利を、人権を侵害するような国のその裁判決定に対しては私たちはインターナショナルコミティーを使わない、こういうふうに言って、そして、日本の離婚判決のワシントン州での執行を拒否したという判例をごく最近見ました。
 ですから、外国の日本を見る目は非常に厳しいということを御理解いただきたいと思います。

○椎名委員 ありがとうございます。
 この二十八条の返還拒否事由を結局争うことによって、やはり実体判断、日本の家裁の実務の判断になってしまいかねないということの懸念を海外からもいただいているということだというふうに理解をいたしました。
 そういう中で、やはり、そうすると、この二十八条一項の取り扱いというのがどのように行われていくのかということが結構大きな問題になるんじゃないかと思います。この二十八条の一項の立証責任、これは誰が負っているんでしょうか。すなわち、ここで申し上げている立証責任と言っている意味は、要は、証拠によってきちんと立証されなかったら敗訴をするという責任を誰が負っているのかということです。
 敗訴をするということは何を意味するかというと、あくまでも、返還が認められて、その上で、常居所地国の家事審判の手続でもう一回子の監護権それから親権のあり方について定めをしていく、手続に乗るという意味だと思いますが、改めて伺いたいと思います。高橋参考人に伺えればと思います。

 

○高橋参考人 立証責任についてまずお話し申し上げますと、立証責任と申しますのは、定義上といいますか、概念上、十分に証拠調べをしたけれどもどちらが真実かわからない、そうしますと裁判ができなくなってしまうわけですが、それで裁判拒否はいけないからどちらかに決めましょうということでございまして、証拠調べを十分にやった上でわからなかった、これを典型的なこととして考えております。
 そして、証拠調べを十分やったけれどもという、ここでは当事者がもちろん証拠を出してもらうということは必要です。それは当事者の責任としてこの法律にも書いてあります。しかし、裁判所も職権でいろいろ手助けをする。中央当局に調査の嘱託等々いたしまして、在外公館も協力してくれるでしょう。そういう体制で十分調べた上でなおわからなかったときということで、これは返還を拒む方に負担を課す、つまり、帰すということでございます。
 この審理を通じて、ハーグ条約が禁止している実体判断に入ってしまうのではないかという御懸念は、抽象的にはよく理解できます。だからこそ、管轄を集中して、裁判官も研修、裁判官だけではありません、いろいろな人が研修をしてそうならないような実務を日本でつくっていかなければいけない、そういうことだというふうに理解しております。
 以上です。

○椎名委員 最後に、要は、この二十八条の一項の四号だと思いますけれども、ここで一番ターゲットにしているのは、先ほど来、大津参考人それから長谷川参考人といった方々が懸念を表明されていたDVに関する問題だというふうに思っています。
 DVに関して、返還拒否事由に該当するかしないかが問題となるのは、多分、四類型あると思います。何かというと、事実と証拠という意味です。
 事実上DVがあったかということについて、マル、バツ、三角、それから、証拠としてDVが証明できるかどうかというところについて、マル、バツ、三角で考えてみると、事実としてDVがあり、証拠としてDVを証明できる事例、これについては保護をしなければならないのは当然です。返還拒否事由に該当しなければならない、それはそうだと思います。
 その二番目として、事実としてDVがあり、証拠としてDVが証明できるかどうかよくわからない、この辺についても何とかして保護していかなければならない、それは事実だと思います。
 しかし、先ほど来、渡辺参考人が当事者として懸念を示している部分というのが、まさに、DVはないけれども、さらに、証拠、物証としてはないけれども口頭の証拠みたいなもので虚偽DVみたいなものが裁かれたとき、こういったところについて、むしろ保護をしてはいけないわけです。
 さらに言うと、もう一個、DVがあったかなかったかについて評価の問題になる。例えば、どこの夫婦でも夫婦げんかはあるわけでございますけれども、たまたま手が当たってしまったとか、軽く殴ってしまったけれども、以後、もう二度としないと反省をしているとか、そういった評価の問題として、これをDVと評価するのかしないのかというところ、人によって価値観が分かれる部分というのがございます。
 おおむね問題となり得る類型は、多分この四類型ぐらいだろうというふうに私自身は思っております。
 私自身の懸念としましては、虚偽DVといったものについて、三番目の類型ですけれども、これが二十八条の一項で保護されることになりかねないかということが、日本の家裁実務との兼ね合い、それから立証責任との兼ね合いで問題視させていただいたところでございます。
 今後の運用として、ここについてどのような展望、考え方を持っているか、高橋参考人それから棚瀬参考人に伺えればというふうに思っております。

○高橋参考人 証拠の問題は大変重要な問題だと私も認識しております。また、特に、外国で起きたことの立証ということでございますから、大変重要な問題だと思います。
 私は、急がば回れではございませんが、この点は、日本の法教育に非常に期待をしております。これから、国内でも国外でも、特に国内であれば、法的にどういう妥当な行動をとらなければいけないのかということを、小学校、中学校、高校の段階から身につけてもらうということでございます。
 ちょっとよくない例になるかもしれませんが、DVの被害に遭っていると主観的にしゃべる。私は被害に遭いました、なぜ信じてくれないんですか、裁判官。これを言うだけではだめなんです。やはり、被害に遭ったとき、携帯電話で写真でも撮っておくとか、在外公館に駆け込んでそこで記録をとってもらうとか、そういう身を守る手段をこれからとっていかなければいけない。
 それは広い意味で法教育ですし、仄聞するところによりますと、外務省も法務省も、そういう教育活動というのでしょうか、広報活動はするというふうに聞いております。それをもとにしますと、虚偽DVも、これは楽観的かもしれませんが、見抜けるだろうと思っております。
 まさに、DVがあったあったと言うだけではだめなんですよね。それが本当にあったのを潰してもいけませんし、なかったのにあったと言うのを認めてもいけない。そういう手段は、法教育を含め、そして裁判所の実務の中で形成されていくものであると私は期待しております。信じております。

○棚瀬参考人 アメリカの例でも、やはり、DVがあったという訴えは非常にたくさんあります。普通の家族法の事件でもあって、みんな裁判官は頭を悩ませていることはおっしゃるとおりです。
 ただ、二つのことだけを申し上げたいんですが、一点は、DVがあったということと、それから、だから親子はもう会えないんだということは、やはりできるだけ分けて考えたいというのがアメリカの考え方であって、DVはDVとしてきちっと保護する、だけれども、それが理由で親子が完全に生き別れになるという事態は可能な限り避けたい、こういうのがアメリカの基本的な態度であるというのが一点です。
 そしてもう一つは、DVについてもしっかりしたリサーチがこれから必要だろうと思うんですね、社会心理学的な研究が。
 そして、最近のアメリカの文献を読みますと、DVにも幾つかのパターンがあるといいます。まさに絵に描いたような、反復的に発生するDV、しかも非常に強度なDV、暴力と、それから、まさに夫婦が別れるときに、離婚をめぐって争いが出てきて、そして激しい口論になったというときのDVとは全然違うんだということをアメリカの裁判官たちは認識していて、それについてたくさんの社会心理学的研究が最近出ました。ですから、それを分けて対応するというのが現在の動き方です。

○椎名委員 どうもありがとうございました。

棚瀬孝雄氏の指摘はさすがだなと感じる。家族法の世界に戻ってきてほしい。